ヴァーチャルとは何か?:ピエール・レヴィ

本書の論点は三つある。すなわち、哲学的論点(ヴァーチャル化の概念)、人類学的論点(人間化の過程とヴァーチャル化の間の関係)、そして社会政治学的論点(この激変の当事者となる機会を得るために現在その激変を理解すること)である。

本書でのヴァーチャルという概念には、ドゥルーズでいう「潜勢的」という意味が重なっている。また、それは存在の様態のうちのひとつである。本書では存在には四つの様態と、その相互間での移動が考察されており、それは「リアル性」/「可能性」、「アクチュアル性」/「ヴァーチャル性」の二対である。
この四様態の差異を、著者が整理している。それによると、可能/リアルの間に存在する差異は、存在が欠けているか、存在しているかである。また、可能なものはすでに構成されて安定しており、そのままリアルなものになることができる。対して、ヴァーチャル/アクチュアルの関係はというと、まずヴァーチャルは「傾向あるいは力の結節点(ノード)」であり、また常にアクチュアル化を要請する「問題提起」、つまり目的の設定である。これに対応する、アクチュアルなものは、存在者に内属するヴァーチャル性から発せられた問いへの、答えである。
その際、答え(形態・アクチュアルなもの)を創造、発明することは「アクチュアル化」と呼ばれ、反対に答えがより一般的な布置の中に再導入されることは、「ヴァーチャル化」とよばれることになる。また本書では、ヴァーチャル化の動きが脱領土化の動きであることが強調されている。それはくっきりとした存在の輪郭をもたない。また、この脱領土化の働きによって生ずるのは脱-現前化であり、具体的には、ヴァーチャル化は、もの、「いまここ」という時間、行為、パロールなどに適用されることによって、客体、流れとしての時間(または実存主義的な時間。ヴァーチャル化はアクチュアル化(解決)を要請する問いであるから(88p))、技術(道具や制度。それが人間とかかわりあう限りにおいて、それはヴァーチャルな布置だといえる)、言語を生み出す。

これらのヴァーチャル化の諸産物は、それぞれが、人間として了解されている存在の、根幹に属していると思われる。そのため、本書は続いてヴァーチャル化とは具体的にどのような動きなのか、という問いに取り掛かっている。

弁別すると、ヴァーチャル化は三つの操作によって遂行される、と本書ではいわれる。「文法化」「弁証法」「修辞学」である。古代、中世の学問から名前が取られている。
文法化」とは、異なった状況において等しく適応可能な、要素への分割を指す。文法では「音の連続体から、一つの言語は音素を隔離ないし分離」(101)して、その言語内ではどこでも適用可能な標識をつける。(この文法化の極端がビットだといわれている。)
弁証法」は「交渉相手との相互的関係を確立」し、そのことによって主体と客観的世界とを結びつける。つまり弁証法において代理や指示が可能になる。指示としての意味はこの段階で生まれている。
また、この弁証法の動きである「弁証法化」についても注意が必要だと思う。それはすでに文法化と、ある一つの弁証法によって意味、支持を与えられた存在が、それとは別の意味の組織へと乗り換えようとする動きである、といわれている。つまり、先にヴァーチャル化、問題を生み出す布置へと戻ること、と定義した動きは、この弁証法化に基礎を持っている、といえるだろう。この弁証法化に動因を与えるか、とにかく背後で支えているものが、修辞学のように思われる。
「修辞学」は、さきの交渉相手や客観的世界に働きかける技術である。これは「技術」に適応されるとき、新たな目的を創造する。つまり弁証法化が可能であるためには、ある弁証法から逃れる動きが必要で、修辞学がその「引き離し」(119)である、と整理できる。

ヴァーチャル化は主体と客体を構築する。主体とは例えばわたし、それに集団的人間のことであり、客体とはこういってよければシニフィアンのようなものである。

ここで著者によって考えられているのは、「個人的な人間精神にも集合的知性にも適用されうる精神活動の定義」である。
それによると、精神活動はある配置を持った「場」と、その場自体に作用する要素でもある「記号」、そしてその配置(記号と場)に意味を与える諸「測定のシステム(体系)」と、それらの変化の力学的概念である「エネルギー」の四つの次元から分析されうるという。(134)(これは外部の襞(ドゥルーズ)としての内部のイメージでもある。)
この図式はフラクタル的に働く、つまり次元を横断して適用される。つまりこの図式を社会的知性に適用することができるし、実際に社会は情動性を持つ。またおそらく、この図式がフラクタルに適用されることにより、人間を単なる変数と考える思考と本書のそれは分けられうると思われる。(人間集団と昆虫の社会との区別はP143参照。)

このような集団において、共通に理解されるものが、「客体」である。それはヴァーチャル化の作用によって生じる。簡単に言えば占有的なもののヴァーチャル化によって、共有可能なものとなる。それは共有または循環することによって、全体と個人とを結びつけるのだが、そこにはヴァーチャル化が働いているというのが、本書の八章でいわれていることである。

以上のようなヴァーチャル化の分析を踏まえ、ヴァーチャル、アクチュアル、リアル、ポッシブルという存在の四様態の関係と変様が整理され、結論として存在の一意的な基盤の上から出来事と実体という二元性を考えることが示される。ここから直後の文献案内に戻ってもよいだろうし、他の本を読むのも良いだろう。

本書(原書)が書かれたのは15年も前であり、本書で描かれているハイパーリンクの生産性は例えばwikipediaなどにみられるけれども、現象は本書のように楽観的にも進んでいないし、またレクチュール(読むこと)のスタイル変化はもっと別の仕方で起こっているように思える。そのためこの記事では存在論的な部分の流れを追うように心がけた。