アデン、アラビア:ポール・ニザン

アデン、アラビア/名誉の戦場 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-10)
ジャン ルオー ポール ニザン
河出書房新社
売り上げランキング: 255859
おすすめ度の平均: 4.0
3 名作だけど
5 アデン、アラビア
5 厳粛な小説と、面白いが実は厳粛な小説
4 「名誉の戦場」面白かった。
フランスのパリから、そしてヨーロッパから話者は逃走する、ヨーロッパから、船に乗ってアラビアへ向かう。そこで彼は二つの自由を対比している。いうなれば、海の自由と、実存的な自由とでもいうもの。そして、前者の自由については、すぐさま否定的なディスクールが接続される。

海の上、道の上の自由なんて空想に過ぎない。旅を始めたばかりの頃は、それは自由に似ている。海に出る前のおぞましい奴隷生活と比べてしまうからだ。でも、この自由というのは結局、(・・・)もう他人の望むとおりの動作をしなくてもいいということ

(「池澤夏樹 個人編集 世界文学全集Ⅰ-10」p.44)
続いてもう一つの自由が語られるのだけども、これは小説の最後にもう一度表れる。それは本小説に伏在する、枠を為すのだけど、この観念に話者が至るにはもう少しの時間が要る。

でもかつての僕には、実際に経験してみるまで、名前の無い広大な物質の中を移動していったところで、そうした巨大さとは何の関係も無い混乱が癒されることは無いということがわからなかったのだ

(p.49)
本小説の語りは回想の語りだということは、一文目から示されているので、別に取り立てることも無いので、話を戻そう。自由とは実践的な活動である、と過去ではない話者は言う。つまり船上の話者ではない、といういみで。

自由は、現実的な力であり、自分自身であろうとする現実的な意思である。何かを打ちたて、考え出し、行動するための力、存分に使われることで喜びを生む人間のあらゆる可能性を満足させてくれる力なのだ。

(p.45)
サルトルが序文を書きそうな、というと凡庸に聞こえるけれども、小説の前半で早くも自由の主題が登場して、ブレア船長に即した具体例が続く。彼は船を指揮し、その間はいきいきとしている。こういった行為が現実的と評される。しかし彼も、それ以外については我々と同じであり、退屈している。その退屈は話者たちを押しつぶそうとしているものと、別物ではないだろう。


船がアデンに着いてから、アラビアの地で話者が見るものはみな、同一性に収斂してゆく。それはこの時点の話者にとってはヨーロッパに吸い込まれるような同一性だけども、後には理性の同一性とされる。それは最終的には理性の傾向になってゆく。それは可換性と共に本書の魅力の一つである話者の詩的思考の文章を構成する材料のようなものなのだ。
ただし単なる同一性ではない。それは基底の同一、とでもいうようなものだ。74ページ。

人間の生活は極度の純粋状態に、つまり経済活動だけに限られていたので、ヨーロッパのように人間の生活をゆがめて映し出す鏡にだまされる危険はまったく無かった。(…)ヨーロッパの生活の根底にあるものが見えた。ここでは解剖学模型のように人間は丸裸にされていた。

「藝術、哲学、政治といったもの」は、ここでは使い道がない、とされる。そして話者はそこでのヨーロッパ人の行動について、それは自ら行動している、と幻想することだと語る。抽象的なものに溺れているにもかかわらず、それを幻想によって補償する。人間は厚みのあるものではなく、透明なものであり、その重なり(関係性)によってみせかけの色が雲母のように生じているだけなのだ。

話者は何度もオデュッセイアを引用して、自らに重ねている。というか、ここでオデュッセイアは旅の範例になっている。それは結局同じところに帰着する旅だ。話者は最後に人間に戻ってくる。旅の最後、アデンで人間を見つけ出すのだけども、そこの人間はヨーロッパの人間と同じである。ただ話者にとって彼らが逃げ出すほどに恐ろしかったのは「伝説と地と言葉と美術」によって夜のヴェールを被せられていたから、だった。
オデュッセイア - Wikipedia
彼は帰らなければならないことに気付く。なぜか。自然に閉じこもることには人間と付き合うことを超えるだけの意味はなく、人間に覆いかぶさっているものの正体に気付き、そしてそれにもっともよく戦える=対抗できる場所はフランスであるからだ。
そうなってしまえば、もはや都市や土地の名に意味は無い。それらはなにもかも取り替え可能なものになってしまう。


話者がフランスに戻ると、彼はマルクス主義的な立場から、ブルジョア経済を批判する。僕がこうかくと、ひどく味気ない文章になってしまうのだけど、彼がフランスに戻ってから、近代都市を批判するところは読んでいて最も楽しい部分だろう。それは自由と行動のつながりを維持しつつ、熱のこもった宣言だからだ。だけども、最終ページ付近になり、冒頭の話者の僕ら、という一人称が再導入されると、どこかで疎外感を感じてしまう。いっていることはそれまでの文脈から説得的なのだけども、ただ、小説の歳月が寂莫感をもたらしている。
ポール・ニザン - Wikipedia
ニザンがこの小説を書いたのは1931年。二十代の作家による小説は、青春小説のようなモードを全体に帯びている。130ページの短篇。


形式、文体(5/23追記)
初めと終わりの「僕ら」はある共同性を志向している。つまり、呼びかけている。ただしそれはバタイユ-ナンシーにつながる様な、無為とかそういうものとは全く関係なく、いわゆるニザンのライフ・ヒストリーに関係するものだろう。
(5/28)
ジャン・ルオー「名誉の戦場」については以下。
http://d.hatena.ne.jp/musashino10/20100525/p1