レトリック入門

第一部第1章、「レトリックの「発見」」で著者の野内氏は古代から現代に至るレトリックの歴史を簡潔に纏めている。現在のところ、レトリックとは「弁論術」(雄弁術)と「修辞学」という二つの異なった意味を表す。これは古代、キケロの時代の弁論術の五部門、つまり発想、配置、修辞、記憶、発表(10)のうち、中世と近世を経て「修辞」、文体と文彩の技法が分化したためらしい。古代では政治の場で行う弁論の技法として用いられたレトリックが、中世においては神学における論証、解釈の道具(17)として用いられるようになったためである。近代に至ると、レトリックは科学主義、合理主義やロマン主義の趨勢に押され衰退するのだが、二十世紀の後半にいたりロマン・ヤコブソン失語症研究に端を発する形でレトリックの復権が始まることになる。(22)
ここで復権されるレトリックには、二つの異なった傾向がある。すなわち、見直されるのが「修辞学」(狭義のレトリック)か「弁論術」(広義のレトリック)かという点である。ヤコブソンやグループ・ミューが前者を、ペレルマンが後者の「レトリック」を再生している。(24)ペレルマンが揚言するには、レトリックは「価値判断の論理学」として位置づけられる。著者もペレルマンと同様に、この点にレトリックの現代的意義をみていると思われる。それに加えて、著者は狭義のレトリックと広義のレトリックにはある関係が通底しており、双方の架橋が必要ではないか、と語る。(27)続いて、提喩、隠喩、換喩がそれぞれいかなる認識論的役割を果たしているかが説明される。(36-41)本書(二部)ではこの認識論的原理に従って諸文彩が分類されている。(42)
本書の二、三部では、レトリックがいかにして用いられるか、それは何故説得的なのかといったことが細かに説明され、本書の中心といって良いと思う。「はじめに」では本書は「レトリックへの認識論的問い直し」を目指すとされている。じつに、こうした観点から見られたレトリックには、確かに本書で例示された「レトリック批判」(21)の範囲を超え出ているものがある。

中身のない人間:ジョルジョ・アガンベン

各章の要約については、岡田氏による解説(191-202)でなされているので、立ち入らないことにする。本書でアガンベンは、近代の芸術論を参照しながら、それが古代の受容とことなるのはなぜか、という問いをたてる。ヴィントがいうように、プラトンにおいて芸術の力は精神に大きな作用を及ぼすものだった。(シンボルの修辞学:エドガー・ヴィント - ノートから(読書ブログ))また、ヘーゲルは芸術作品はもはや先行する時代と異なり、「精神的要求の満足」を魂にもたらさない(59)とした。アガンベンヘーゲルをよみつつ、教養が自己否定によって自己を再発見するという倒錯であること(40)と、芸術家の主観性とその芸術の素材との一致が分離されたという指摘を参照する。(51)
まず後者からはじめると、芸術家がその素材と統一されて生きる限り、鑑賞者は芸術作品の中に「必然的な方法で意識にもたらされた固有の存在の最上の真理」、固有の本質の表現を見ることができた。しかし芸術家の意識が素材から分離され、芸術家がその主観性に基づき自由に素材と形態を選び取れるようになる。すると、「芸術作品のこの共通の具体的空間は解体され」、鑑賞者は芸術作品の中に美的な表象を見るようになる。アガンベンはこれが「趣味」の誕生、すなわち趣味人と芸術家の分裂であるとする。趣味によって自己を確信する趣味人(37)は、自己を芸術作品のうちに「他者」として、異化された状態で発見することになる。(56)その自己確信がヘーゲルによって「内容は同一の自己でありながら、形式的には、両者が絶対の対立関係にあり、たがいにそれぞれまったく無関心な存在」といわれたものである。(39)

続いて、アガンベンの芸術観が展開される。ヘーゲルを再び読解し、先に読まれたように芸術家は芸術的主観性(先の芸術家の自己意識)という創造-形式原理が、あらゆる内容と無関係になることによって自らの本質を失うが、むしろその分裂を根本的な経験となす主体であること(80)が知られる。アガンベンによれば、この芸術的主観性は「あらゆる内容を無化し解体することで自己を超越し実現しようとたえずつとめている抽象的な絶対的非本質性」である。この「否定の純粋な力」は芸術家自身にも向けられ、芸術家は「否定の作品を完成する」。(83)ここで、「自己を無にする無」となった芸術はニヒリズムと繋がる。本書では以降、ギリシャからのポイエーシスとプラクシスの概念を追うなどして、この理論を精緻なものにしてゆく。

技術と時間2 方向喪失:ベルナール・スティグレール

このエントリーは技術と時間1の続きです。


はじめに

一巻の冒頭で技術は非思考である、と言われていた。なぜ技術の思考が必要なのかを示しつつ、同時に、本書は技術の思考を行う。本巻の「序」では前巻の思考が簡潔に捉え直されている。スティグレールは繰り返し、技術が起源的であることを示す。例えば、後生系統発生と呼ばれる「第三の記憶」は生物の経験が道具装置に書き込まれることで継承が可能になったものだが、これはプログラムの外在化として捉えられる。
「プログラム」は、動物においては遺伝的に決定されたものであるが、人間では、後生系統発生と呼ばれる(5)技術的な記憶において、このプログラムを外在化する。記憶は、遺伝的書き込みからの解放のプロセスを実行する。(Ⅰ、第Ⅰ部、第三章)この解放のプロセスにおいて、技術発展は現行のプログラムから「引き剥がし」、新たなプログラム的なものを生み出す。(10)このため、記憶は起源的に技術に代補されているといえる。(107)
この「継承」とは、現存在が自らが生きなかった過去を継承することであり、「存在と時間」の実存分析に繋がる。
スティグレールは本巻の前三章をつうじ、「第三次想起の歴史」を素描する。第三次想起とは、ハイデガーのいう世界歴史性、フッサールの「像意識」、または人間が生きなかった過去の痕跡という、後生系統発生の媒体である。また最終章ではフッサールが読解され、フッサールがいう「意識の流れ」にかえてスティグレールは過去把持と現在の過ぎ去りとが相互作用する意識を語るだろう。

正書法の時代

スティグレールはまず、アルファベットの音声的な理解ではなく、その「正書法的性格」に特権を与えることが必要であるとする。(18)正書法エクリチュールにおいては、その「正確さ」が本質的である。こういった「正確さ」を本質とする記録は、エクリチュールだけに限らない。その総体を、スティグレールは「記憶の正定立的媒体」と呼ぶ。正定立的媒体を論じた一例としてバルトの写真論を参照し、スティグレールはその「本質的確実さ」(「かつて-それは-あった」)という正定立的契機と同時に、その確実さそのものが、即座に転回、迂回することで「揺れ動く確実さ」を不可避的に生み出すことを指摘する。(31)
つづいて、スティグレール鏡像段階を解釈する。鏡像段階で、不十分な主体は自己の全形を外在性において先取りする。この外在性は内在性を構制するものであり、特に「一次的外在性」と呼ばれる。またこの力動は生命においては「前定立性」とよばれ、ネオテニーの生物学的分析と結び付けられる。鏡像は本質的に歪曲であるが、この歪曲は矯正され正定立的になる。(43)こうして、スティグレールは<何>(手許存在)の歴史を鏡の歴史として捉え直す。それは<誰>は<何>、技術とその矯正によって構制されているということである。

続いてエクリチュールの分析がはじめられ、フッサールの「幾何学の起源」が参照される。フッサールの読解で読まれるのは、「道具的過去把持性、つまり構制的第三次想起」、記録としてのエクリチュールが共同体化のプロセスを可能にするのはいかにしてか、ということである。

まず「差延的同一化」という概念が導入される。これはあるテクストがそれを既現的なものとして引き継いだ共同体において常に新たに解釈されることで、最終的な読解が無限に遅延されるというような意味である。(60)続いてボテロの『記憶補助からエクリチュールへ』とデリダの読解をつうじ、スティグレールエクリチュールの(「記憶補助」と区別される)「正書法的なものへ向かう」、文脈から引き剥がされる性質を提起する。つまり、テクストの「差延的同一性」である。テクストのこの性質によって、<誰>(現存在、人間)は既現的なものをひきつぐことができ、歴史性(市民であること)に開かれる。(90)<誰>がこの差延的同一性を経験する(テクストを読む)ことによって、<誰>は自らの「テクスト性」を発見する。テクスト性とは、読み手である自分が「過去の既現的な言表の織物であり、自分自身のもの、みずからが生きたものが」いま、ここから常に絶えず解釈すべきものであるという性質である。

同様に、このエクリチュールの正定立的性格は、その過去(それを読む<誰>にとっては既現的なもの)を「規定」するのではなく、むしろその脱文脈化という様態において「非規定」にすることが明らかになる。(92)この非規定性によって、その読み取りが累積的に反復されることが可能になる。

こうした思考が(一巻第一章で辿られた)技術進化の理論と接合されることで、技術と「文化」の歴史(<何>の歴史)の問いが開かれる。技術とは、外在化であり、それは脱時間化と脱領土化を常に伴っていた。したがって技術進化は社会の伝統(整合性の構造)を攪乱し、また「文化」はその力動を統合しようとする。「技術化とは、起源的に、引き剥がしであり、社会発生は、この技術発生を再固有化する」(2)。この再固有化、差延においてのみ歴史性が展開する。(95)「技術性はつねに既に脱文脈化し、既に構制されたプログラム的なものを中断し、知識の基層と沃土を構制する」。しかし今日における技術は、この差延を省略し、そのことによって「リアルタイム」という脱時間性が生じている、とスティグレールはいう。(98)では、この現代の時間性はどのような<誰>を生じさせるのだろうか。この問いが本書の三章までの問いだといえる。

記憶の産業化

「記憶が「過去把持の有限性」、起源的に補助されたものであるかぎり、技術は記憶なのである」。(107)既現的なものを引き継いだ<誰>は捉え返しの働き(先取り)により技術進化を遂行する。(154)この可能性は過去把持の有限性に由来しているが、スティグレールは現代において記憶への産業的投資、すなわち「過去把持のメカニズムに対する統御」が行われている、と考える。(162)記憶は、記憶可能なものにおける選択であり、その選択に接近できるのは過去把持が有限だからである。記憶可能な事実が記憶になることによって、それはイベント(出来事)化される。この選択の基準が可能になるのは、「接近と方向付けの前定立的可能性を規定する技術傾向と同時に、これらの可能性から平均的なものとして生まれる、「現存在がみずからの存在に関して有する了解」」(163)によって、つまり自らのものではない既現的なものを自らの可能性とすることによるが、この記憶の産業が発展したのが現代である、と言える。(167)続いて、情報工学、通信工学、リアルタイム・ネットワークの登場の帰結が素描され、知が「情報化」されることで、(「正書法の時代」にみたような政治的な空間を開くのではなく)経済的要請に資することになる、と語られる。(178)これは例えばアーカイブにおいて現れる。アーカイブは「有望な投資先として、収益化可能でなければならない」ため、アーカイブの記憶(=忘却するものの選択)は経済的収益性に資することになる。(204)更に、近代と伝統的システムとの比較が続けられる。マスメディアの登場とともに実現する現代のテクノロジーはどのような時間を生み出すのだろうか。伝統的なシステムで、出来事を生み出すのは歴史家だった。歴史家は出来事に対してつねに遅れた、「出来事の物語」の構成によって出来事を遡及的に把捉し、それによって出来事は初めて出来事になるのだった。つまり出来事が出来事になるには遅れがある。(192)反対に現代のシステムにおいては、この時間性が省略される。この省略によって「リアルタイム性」が生ずる。リアルタイムにおいて、出来事はその遡及的な把捉抜きに出来事であると言える。「われわれの時代の現在は[・・・]既に「生み出され=提出され」、創作、構築、操作され、書かれたものとしてわれわれに生起する」。この「リアルタイム」による差延の抹消は、他にも民主主義、知の伝達などに影響を与える。
ついで「ネットワーク」の意味が分析される。ネットワーク一般は「距離のなかで結び合わせ、共時化し、遠くに開くと同時に近づけるものである。[・・・]ネットワークなしに領土は存在せず、つねに、ネットワークあるいは網状組織しかない」。(228)ネットワークは脱領土化することにおいて領土化する。「既存の領土の限界を乗り越え」、変容させ、違ったかたちで再構築するのがネットワークの発達である。「記憶化の文字的ネットワークの拡張が、ポリスを誕生させた」。政治的共同体も、ネットワークの所産だった。現代のネットワークはいかなる政治、<誰>を生むのだろうか、という問いが第三章で続けられる問いだろう。

時間対象と過去把持の有限性

本章でスティグレールフッサールにおける志向性の問いを辿る。(310〜)それを大まかにみていくと、
どんな意識も何者かについての意識であり、その対象を構制する。対象はこの構制以前に与えられてはおらず、前もって志向されているのは「形相」である。形相は理念的対象であり、世界のうちにも意識のうちにもない。この志向性を思考するために、フッサールは「対象/主体関係」に「現象と、それがその内で構制される意識の流れ」を取って代え、後者を問う。(314)流れは、みずからに閉じた統一であるが、その統一を自らの外に投射することで、「形相的地平」を見出す。(317)形相が存在する場所は「来るべき統一として二重化=捉え返され、投射される、流れのうちの渦の目あるいは欠失」、「流れそのもののうちでの非合致」である。流れはつねに自己と非合致であり、常に未完了の充実のプロセスである。この志向性が共同に志向されるのはいかにしてか、という問いとともに、時間性が問われることになる。(319)時間と体験の関係がみられたあと、時間意識の問いが検討される。フッサールのメロディーの分析(内的時間意識の現象学)において、過去把持は起源的印象としての「今」に反作用して、今を変様するのだが、それをフッサールは見逃してしまう、といわれる。この困難は「現象学の原理である志向性に厳格に忠実であることによって、時間対象の超越は還元不可能になってしまう」ために生ずる。(335)
スティグレールにおいて、過去把持は有限であり、そのため記憶は起源的に技術に補助(代補)されている。(107)フッサールは記憶の喪失、過去把持の有限性を抹消するため、第三次想起が代補として生じてくることも同様に抹消する。(360)しかし「幾何学の起源」において、フッサールは起源の「技術論理的な解明」、すなわち「幾何学の理念的可能性の始点を正定立化に」見て取る。(385)これは「現前性は、既現的なもの」に由来することを示している。フッサールは、ここで根本的な反転を行ったのである。
そうした読解を経て、本書で示されるのは、「現在の過ぎ去りが過去を触発し、その非規定性を明らかにするかぎり、今度は、その過去が現在の過ぎ去りを触発するようになる」という、ループとしての意識である。(404、訳者解説)

技術と時間1 エピメテウスの過失:ベルナール・スティグレール


初めに

本書はこみいった叙述ではないものの密度が高く、その各論に深入りしてゆくと、全体的な把握を失いかねない。この記事ではとりあえず大要の把握を目指す。スティグレールの思考はハイデガーデリダを引き継ぎつつ、第一章で見られるような技術進化の理論を取り入れて技術を思考しようとしている。スティグレールにとって現代はプログラム産業の時代だといえるだろう。「外部環境に徐々に侵襲してゆく内部環境における運動」(79)である技術傾向は遺伝的に書きこまれたプログラムを外在化し、既存のプログラムを中断し、新たなプログラムを生み出すことで完成する。これが「時代-画定」とよばれる。(二巻,9)このプロセスが産業化されるのが現代である。その詳しい分析は次巻で行われる。本巻で行われるのは、それ以前の分析であり、現代技術を鮮やかに語るというものではないが、それでも重要だろう。

第Ⅰ部

ハイデガーは近代技術に集立という面を見て取った。現代において技術は機械によって担われている。「システム」とは、である。

技術を手段として捉えてはならない、とハイデガーは教える。現代技術は「集立」ととして特徴づけられ、また「器官や、その類の要素の統合によって形成される」集立をわれわれはシステムと呼ぶ。このシステム性によって特徴付けられる現代の技術は、(それまでとは反対に)みずからを自然の主人となす。われわれ人間が自然の一部である以上、技術が自然に命令するということは、技術が人間を統制governするということである。そのため、技術は手段としては捉えられない。(35)
技術がシステムとして理解される以上、技術は手段として理解されることはできない。「技術進化の諸理論」として、スティグレールはベルトラン・ジル、ルロワ=グーラン、シモンドンを参照する。ジルは「技術システムは時間的な統一体を構制する。均衡点を中心に技術進化が安定し、特定のテクノロジーとして具体化する」(44)ため、「技術システムが技術発明を条件付けており、技術進化がまずシステムから」考えられねばならないことを示す。
また、ルロワ=グーランはシステムの進化を「技術傾向」によって統御された準有機体として考える。ルロワ=グーランにおいて、「傾向」という用語は「外部環境(人間を物質的に取り巻くあらゆるもの)に徐々に侵襲して行く内部環境(社会的記憶、いわゆる「文化」)における運動」を意味する。(79)
そしてシモンドンは、「有機構成された無機の物質」である技術対象がその固有の力動によって起動する産業段階を分析する。シモンドンにおいて「技術進化は、技術対象そのものに完全に属し」ており、人間はこの力動の「志向的主体ではなく、その操作者に過ぎない」。(88)技術存在は「みずからへの収斂と適応によって進化する。それは、内的共鳴の原理に従って内的に統一されている。」このプロセスが具体化と呼ばれる。(95)具体化において、発明力は人間ではなく技術対象の潜勢力である。人間は発明家ではなく操作者という役割を持つ。また技術対象は具体化することで、固有の環境を作り出す。そして「環境を作り出す技術対象は自然を集立=臨検する。」(106)
技術対象の具体化へと向かう力動は「人間という操作者、動因、作用因の側に先取りの可能性を前提する」。「対象は、人間によって生み出されはしないが、先取りするかぎりでの人間を必要とする」。(118)この先取りには、本書の冒頭でハイデガーを参照して触れられていた。すなわち現存在は「いまだないものの様態で常に既にみずからを先取り」している。(8)つまりハイデガーが言う現存在の時間性の根本を先取りはなす。(「配慮」も先取りの一形態である。それは予見として「非規定なものを規定することを目指した先取り」であり、実存の頽落である。)ハイデガーに反して、スティグレールはこの先取りの能力そのものが「技術対象を前提」することを示す。(107)「先取りはその起源から対象の技術性そのものの内で構制されていないだろうか」。この結びつきを分析するために、スティグレールは続いて人間論理と技術論理を比較検討する。

人間論理は、人間の本性、そして起源を問う。ここにアポリアが存在するのは、まず問いのかたちそのものが問われなければならないからであり、つまり人間の本性があると定式化することができないからである。(131)起源について問う時、単なる事実を「本質的な統一体に権利上取り集めるような真理の言説」はいかにして可能なのか。この問いはすなわち、近代哲学でいう超越論的問いである。(139)それを示すためにスティグレールは『メノン』『パイドロス』を参照し、プラトンがその解決として「それなしにはいかなる知もありえなくなる起源的な知の存在」(想起説)をいい、その形式がカントにおいて経験を可能にする超越論的なものの要請として再び現れることを指摘する。(140)続いてルソーの検討にうつる。まずルソーは「超越論的な問いの次元にまで高められた人間とは何かという問いの父」だと言われる。(148)ルソーの読解を通じて、起源の問題がさらに深く考えられる。ルソーは「人間不平等起源論」で、プラトンに比肩する歩みを歩む。ルソーは虚構(「存在したことがない」ひとつの状態)を語るという技巧によって、超越論的な想起をおこない、起源の直接性に接近する。(154)
こうして想定された起源の人間が転落するのは、偶発事が、「第二の起源」が生じるからだ。この(起源からの)移行が偶然的であることは、「起源の不在としての起源」、始原を概念化することの不可能性を意味する。(188)この困難は、技術論理と人間論理を一つの運動で考える場合、観点の根本的な変更を前提する、ことを意味する。(190)

続く第三章では、人間が生命一般の歴史においてどのように考えられるかが問われる。デリダ差延の概念をめぐって、「動物と人間を隔てる境界を、根源的に動揺させる」。差延は「生命一般の歴史」である。(202)この歴史において断絶が生じるのは、「遺伝的差延から非遺伝的差延」への移行においてである。これは既現的なものを継承する構造の出現だと言えるだろう。つまり本書7ページで言われていたような、現存在が自分のものではない過去を継承するという歴史性に関わる。この過去の継承を、スティグレールは人間の後生系統発生と呼ぶ。(206)続いて、ルロワ=グーランの「非人間中心主義的概念から」考えられた人類学が検討される。この分析を通じて、人間論理の観点が捨てられ、技術論理の観点から、技術が時間を構制するという仮説を検討することが可能になる。(39)

第Ⅱ部

ハイデガーの批判的読解がなされる。ハイデガーは「既現的なものの問いを曖昧なままにしておく」という。ハイデガーにおける伝統の概念が検討され、伝統は不可欠だった「過失の歴史」として捉えられる。続く長い読解を通じて、現存在は差延する存在者であることが明らかにされる。(338)差延する存在者であるというのは、現存在が先取りする構造が差延的である、ということだろう。
「<何>の脱離」でハイデガーフッサール読解が読まれる。フッサールはブレンターノを批判して、時間的現象を現在の瞬間、「根源的=起源的印象」に、現在を構制する過去把持と未来予持が結びついた変容のプロセスと考えねばならないとする。(364)今を構成する過去把持は「第一次想起」と呼ばれ、また「追想」が「第二次想起」と呼ばれる。
ハイデガーは現存在を構制する時間性を(フッサールとは異なり)歴史的なものとして概念化した。その結果、「生きられたのではない既現的なものが、それでもなお、あらゆる現前を構制すると考えねばならなくなる」。(368)しかしハイデガーはここでフッサールに従ったままで、既現的なものの力動を逃してしまっている、とする。
更にハイデガーの「骨董品」の分析が検討され、そこで既往的なものへの接近という問題がしめされたものの、この問題を「第二犠牲の範疇に押しやって」しまったといわれる。スティグレールはこの第三次想起の力動、後生的系統発生の地平が、ハイデガーにおける「覚悟性」、つまり「過去の実存の可能性を本来的に反復すること」に意味を与える地平であることを指摘する。(401)更に、ハイデガーは「現有の歴史性」が歴史学の前提であるというが、スティグレールは歴史家による「歴史性の歴史的特徴付けは」既往的なものの実定性によって本来的に構制されていると指摘する。(405)つまり、時間の計測のために何らかの用具=技術が必要である、ということだろう。
スティグレールはこの困難を、ハイデガーにおいてもなお<誰>(現存在)が(決して本来的に構制的とならなかった)<何>(手許存在)に対して優位を保っているためと考える。そして、こうして問題化された<何>と<誰>、あえていえば技術と現存在=時間(197ページ)の捉え直しが、次巻以降の課題になることを示唆して、第一巻は終わる。

イコノロジー研究:エルヴィン・パノフスキー

「イコノグラフィーは美術史の一部門であって、美術作品の形に対置されるところの主題・意味を取り扱うものである」。ここで形というのは、「視覚世界を構成している色・線・量の全体的パターン」のことであり、それ以上の意味作用を被っていないものである。*1イコノグラフィー、イコノロジーはこの形が何らかの仕方で認識された後の意味を扱う。

美術作品において主題、意味には三つの段階が区別できる。イコノロジーはこのうち最後の層を扱う。
1 自然的主題。これは美術作品の形(色・線、三次元的形状・・・)を、何らかの自然的な対象の表現として認めること、またそれら対象の相互関係を出来事として認めること(以上、「事実的意味」の認識)、そしてその出来事において何らかの表現的特質を(感情移入によって)知覚すること(「表現的意味」の認識)を含む。その記述は「イコノグラフィー以前」の記述である。
2 伝習的主題。この層の認識では、先でいうモティーフはイメージとして認識され、その組み合わせ(コンポジション)は「物語・寓意」(ストーリー・アレゴリー)と呼ばれる。この把握、イコノグラフィーによる解釈は、以下のようなものである。

この主題は、小刀を持った男性像が聖バルトロマイを表し、桃を手にした女性像が「誠実」の擬人化であり、一定の配置と一定の姿勢で晩餐の食卓に着いている一群の人々が「最後の晩餐」を表現し、一定のやり方で互いに闘っている二人の姿が「悪徳と美徳の闘い」を表現しているということなどを理解することによって把握される。

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3 内的意味・内容。先の二つの層の分析によって把握されたモティーフ・イメージ、物語、寓意をそれぞれ「根本的原理の表出として考える事によって」(8)、理解される。「これは、国家・時代・階級・宗教的もしくは哲学的信条などからなる基礎的態度を現す根本的原理――無意識に一個の人格によって具体化され、一個の作品のうちに凝集される――を確認することによって把握される」。
この意味はイコノグラフィーのように「美術作品それ自体」を取り扱うのではなく、その美術作品をある人格、社会、文化といった、他にも限りなく多様な作品(=徴候)に特殊化される「なにか別のもの」(根本的原理)の一徴候として解釈するときに把握される意味である。こうした解釈の方法は本書で「イコノロジー」と名付けられる。

もちろん、美術作品の表現の方式は歴史的に変化している。そのため、これらの把握はそれぞれの歴史的理解によって修正されなければならない。この歴史自体、もちろん作品の分析によって構成されるのだけれど、それらは「組織だった循環」をなす。
例えば絵画におけるモティーフを理解するには、ある対象が特定の歴史的状況においてどのような「形」で表現されるか、という歴史的理解(「様式styleの歴史」の理解)が必要になる。またイコノグラフィー的な理解のためには、そうして理解されたモティーフが、特殊な歴史的状況下でどのような概念・テーマと結びつくか、という歴史的理解(「類型」の歴史の理解)が必要とされる。
特にイコノロジーにおける解釈は、精神の象徴化作用が特定のテーマ・概念をとって表出される仕方の歴史によって修正されなければならない。このため、本書では以後特定の美術作品の分析において、造形美術の枠を踏み越え、文学、神学といった文化的記録にあらわれた徴候をひき、イコノロジー的解釈に役立てている。

ここまでは序論のしかも前半にすぎず、本書の大半は美術作品の分析に用いられている。パノフスキーはまず中世の最盛期・13-14世紀にあっては「古典の「モティーフ」は古典の「テーマ」を表現するのに用いられず、また一方、古典の「テーマ」は古典の「モティーフ」によって表されることはなかった」ことを指摘する。この理由として、(伝統の伝承といった原因の他に)中世精神にとって古典古代は余りに遠く隔たり、同時に力強く存在していたためそれを一個の歴史的現象として捉えることができなかったためである、としている。(28)この再統一はルネサンスにおいてなされるが、それはもちろん過去への単純な復帰ではなく、中世の影響を大きく被っていた。そういう「創造上の相互浸透の過程」が本書において示される。
例えば、「ある古典の人物が、まったく非古典的な装いをして中世時代から姿を現わし、そしてルネサンスによって最初の姿に戻されたとき、この最後の結果のうちに」その過程の痕跡、つまり中世的な意味が残される。こういった像をパノフスキーは「擬形態」と呼ぶ。「時の翁」と「盲目のクピドcupid」はそうした擬形態の例である。また5、6章では、フィチーノの体系が芸術に及ぼした影響がみられる。本書は広い視野において、中世と古代の相互作用によるルネサンス芸術の表現の変化を研究している。私にとって理解することも簡単ではなく、まして「批判的に」読むことなどできそうにないので深入りはしないでおく。

*1:ここでは形と主題の特に厳密な区別がされているので、すぐ下でいう「モティーフ」と「テーマ」、すなわち既に意味を付与されたものが対置されているのではない。

仏像学入門:宮治 昭

仏教美術の起源は、在俗の信者の信仰と関わる。彼らは釈迦に関わる聖なるもの、「チャイティヤ」を礼拝していた。彼らは(出家僧とは異なり)チャイティヤを礼拝することによって功徳をつもうと考えたのである。チャイティヤには三種、釈迦の遺骨である舎利・またそれを祀った仏塔、釈迦の使用した物、象徴的な図像表現がある。(7)仏塔が造立され、それを巡る玉垣や塔門に装飾が施されるようになるのが、仏教美術の興起である。装飾において、仏塔、聖樹、聖壇、法輪、三宝標などの象徴的図像表現が発展し、仏伝説話図において仏陀の存在の表現として組み入れられる。古代初期、一世紀初めころまでの仏教美術において、「仏伝説話図が相当に発展を見せているにもかかわらず、主人公たる釈迦はけっして人間像で表されることはなく」聖樹と聖壇の組み合わせといった象徴的図像によって存在が示されていた。(10)*1
仏陀の人間像である仏像はその初期においては釈迦の成道後、梵天をはじめとする神々が釈迦に人々のために説法するよう要請する、梵天勧請の場面が表されていた。この場面の意味は
「自己完結的な<悟り>ではなく、<救い>主としての仏陀の誕生を意味したといえよう。その場面に最初の仏像が表されたとすれば、単に<悟り>を開いた者、あるいは涅槃に入った者としてではなく、苦しむ人々に<救い>をもたらす者として、人々の熱い眼差しがそこに注がれたことであろう。実は、そのことこそが、仏陀を象徴表現ではなく、人間像として、「梵天勧請」の場面の中に表した理由ではなかろうか。人間像としての仏陀によって、初めて人々の熱い想いを託すことができるからである」。(23)
とある。仏像はクシャーン朝時代(一世紀中頃〜三世紀中頃)に急速な展開を遂げた。クシャーン朝における、神格化された帝王を肖像として表す伝統は、「死せる神」にかわって「生きる神」を欲するようになった仏教徒による釈迦の神格化と呼応し、仏像を大いに推進した。(28)クシャーナ朝下のガンダーラとマトゥラーでそれぞれ発達した様式の異なる仏像は、グプタ朝下、五世紀にいたって古典的な完成をみた。(36)この様式は、瞑想的で静かな、われわれが仏像に対してもつイメージの原型である。(一章)

以後本書では、様々な仏像の系譜が遡られる。例えば日本では弥勒菩薩の図像である半跏思惟像はガンダーラに起源をもつが、ガンダーラでは観音菩薩の姿として定着していた。(91)半跏思惟像は中国では釈迦菩薩または弥勒菩薩として造形され、韓国や日本で弥勒菩薩と特に結びつく。(49)四天王はインドの護方神信仰の仏教版というべきものであるが、北方の多聞天を除き、正統のバラモン教ヒンドゥー教の四方神とは異なり、むしろ土着的な民間信仰の神々に出自をもつ。(179)四天王信仰・造形は中央アジアから中国にわたって発展を遂げる。仏伝美術中の「託胎霊夢」の場面における摩耶夫人を護衛する四天王(183)や、ガンダーラで重視された「四天王奉鉢」の場面(186)につづき、「涅槃図」の場面で四天王は仏舎利を守護する重責をおう。(191)また仏教世界を守護するという役割も四天王はもち、これは仏教世界を「一寺院や一石窟として捉える」か一国土として捉えるかによって二つに大別される造像を生んだ。(193)後者が発展し鎮護国家の思想が生まれ、これは東大寺の建築にも影響を与えている。(197)

このように、時代を下り、土地を伝わるにつれて、図像上の違い、表現上の違いが生まれてくる。本書は豊富な作例に従い、様々な仏像の展開を解説している。仏教の時代、土地における広がりを感じさせる。

*1:「インド古代初期の仏伝美術における<仏陀非表現>の規制は、おそらく僧団の長老たちによってなされたものであろう」

暴力:スラヴォイ・ジジェク

暴力 6つの斜めからの省察

本書を読むうちに、何か居心地の悪さのようなものを感じていた。本書で扱われる暴力には、大まかに言って三種類、一つはわれわれが「真っ先に思い浮かべる」ものである「主観的暴力」(犯罪、テロ、市民による暴動、国家観の紛争、など)、続いて主観的暴力の零度である「正常」状態を支える「客観的暴力」(システム的暴力)、最後に、ベンヤミンの読み直しによってその概念に到達する「神的暴力」があるのだけれど、本書では主に前二者の暴力が分析されている。その過程で、ジジェクリベラリズム的な「寛容」がいかにやはり暴力的であるか、を指摘する。(73-75,179-182)私を居心地悪くしたものはそれだろう。他者への「寛容」という倫理が挑発されることで、われわれは問いを向けたくなる。では、それに替わる倫理とはなにか。本書でジジェクはどのような提案をしているのか。

本書では互いに関連した複数の主題が代わる代わる現れる。生政治はいかに傷つきやすい<他者>への尊敬、配慮をもつと同時に人間を「ホモ・サケル」に還元する操作を行うか。客観的暴力はいったいどのように作用しているか。他者への寛容というリベラル的な倫理と、それと対照的な「ハラスメントに対する強迫的な恐れ」がいかに絡み合っているか。この記事では最後の問いに話題を限定してみる。この問いは、第五章「イデオロギー的カテゴリーとしての寛容」以降で詳しく分析される。
寛容とは、政治的差異が所与であり克服不可能な「生活様式」の差異、文化的差異に自然化された後の倫理的態度である。リベラリズムにおいては、文化は私的なものとして生き残る。この立場において主体はその本質において普遍的とみなされる。この立場の代表的なものはローティの特異性の領域としての私的領域と連帯の空間としての公的領域の峻別だろう。ジジェクはそれにカントを対立させる。カントにとっては、(おそらくローティにとっての公的空間である)共同体的制度的秩序こそが私的なのであり、そのしばりの外側にある解放をもたらす普遍性の次元が、公的であるといわれる。(178)そして個人とこのカント的な普遍とは、特殊性を媒介せず直接関与する。次にカントが普遍性の名とともに現れるのは、スローターダイクの長い読解の後、ジジェクがその批判に転じる時である。スローターダイクルサンチマンの組織が近代の左翼のプロジェクトの源泉であったとし、それが現代において無力である以上、いまや個々人の承認願望の調整とリベラル的「行動規定」の確定すべきであると提唱した(226-230)のだが、ジジェクはその非難自体が「倫理的普遍性の<奇跡>」へのルサンチマンから発しているのではないか、としてカント(とサドのラカンによる読解(「精神分析の倫理」))を参照する。ラカンによれば、カントの言う倫理的普遍性、すなわち「感性的動因による」関心や動機に基づかない行為は「欲望そのもの」にしたがった行為である。

この後、本書はベンヤミンの神的暴力の検討を行い、それを神話的暴力と分けるのはそれが(罪人を罰したり正義を回復したりする)手段ではなく「世界の倫理の「関節がはずれていること」」の意味を欠いたしるしであり、またその神的性格を保証する大きな<他者>は存在せず、むしろその無力を引き受けた上でなされる決断である、と結論されるのだけれど、それを充分に説明するにはあまりに多くの要素を飛ばしすぎてしまった。