世阿弥―人と文学:石黒 吉次郎

世阿弥―人と文学 (日本の作家100人)
石黒 吉次郎
勉誠出版
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世阿弥の伝記と、その能楽論を併せ語り、世阿弥の思想を理解するための入門書として、素晴らしかった。
世阿弥(1363-1443?) の著書で、最も有名なのは風姿花伝だろう。岩波文庫にも入っているし、僕もそれで読んだのだけれども、さっぱり分からなかった。読んだのは高校生の時だったように思う。有名な「秘すれば花」や、年齢によりふさわしい心構えを説いた「年来稽古条々」など、言うことはわかるのだが、個々の事例に助言しているだけのように思え、それがこういう言い方をすると役に立つ、とは思えなかったのだった。

その後小西甚一氏の編集した「世阿弥能楽論集」で、その他の伝書も読み、確かに世氏の芸術観は深まり一通りの感銘もあったが、やはりそれを抽象化し体系化することはできなかった。その後もいくつかの本、野上豊一郎「能の再生」(ノートから(読書ブログ))や素晴らしい能楽の解説書である能勢朝次「謡曲講義」(参照:http://www.shibunkaku.co.jp/shuppan/shosai.php?code=4784201904)その他を図書館で借りつつ読んでいったけれども、世阿弥能楽論自体を正面から取り上げた本は、結果的には読まなかった。(それまでに読んだ本は部分的には知識を増やしてくれたし、それは僕にとって恩恵なのだが、世阿弥については結局、なんだかわからないという印象のうちに留まっていた)僕が本書を読むまでの文脈は子の程度にしておいて、内容を見ていくことにしよう。


本書は大別して、世阿弥の伝記的生涯と、彼の残した作品の解説に分けられる。作品解説は更に伝書と能作品の二つが区分される。社会的情勢などが記された伝記の叙述のなかに、(世阿弥の)当時の思想が並べられるので、彼の思索的深まりが彼を取り巻く状況と大いに関係していたことがうかがえる。例えば四代将軍足利義持禅宗への傾倒から「冷え」の美を好み、それは「父義満が王朝的な美を愛好したこと」と違う方向である。世阿弥もその要請に従い、「冷え」を自らの能楽論に取り入れる。義満が好んだ「冷え」の美、増阿弥の芸についてはp.63

(冷えは、増阿弥が属した)田楽新座の伝統的芸風であったが、「冷えに冷えたり」という世阿弥の表現には、驚きにも似た深い感動が感じられる。抑制された演技の中に、厳しさ、静寂さ、冬の寒さを思われる味わいがあり、そうしたものには、花やかな観阿弥にも、上品な道阿弥にもない新しい美があった。増阿弥は田楽の伝統的芸風をさらに洗練したものと思われる。

とあり、そうした傾向を反映して世阿弥も「花鏡」に

心より出切る能とは、無上の上手の申楽に、物数の後、二曲も物まねも義理もさしてなき能の、さびさびとしたる中に、何とやらん感心のある所あり。是を、冷たる曲とも申也。

と書き、それに高い評価を与える(「此位、よきほどの目利きも見知らぬなり」)ところが引用される(81p)、などなど。こういった環境に影響されつつ、自らの論理を洗練させてゆく流れとして読むことで、掴みづらかった世阿弥の伝書がどこか近しく思われてくる。そういった意味で本書には助けられた。

ただし、これは言ってもいいと思うのだけれど、分量に比して値段が若干高い。百ページあたり約千円、文庫ではない単行本の値段としては相応だろうけれど、世阿弥の曲を例示し解説した部分は他の本により詳しいものがあると思う。実は僕は図書館で見つけて借りてきたので、本当はこの段落のようなことはいえた様なものではないのだが、留保を付けつつ、その点は書いておく。


また能楽自体の入門としては、僕が読んだうちでは「現代能楽講義」がよかった。興味があるかたは、一度読んでみてください。それから実際に能楽堂におもむくときには「能の表現」を読んでおくと、よいとおもいます。各曲の見どころ解説をしており、すぐれた本でした。(「謡曲講義」はさすがに難しすぎて実際の鑑賞に役立てることは無理でした)また、世阿弥の伝書はいろいろ出ているけれど、先にもあげた小西甚一氏編の「世阿弥能楽論集」がやはりすぐれている。例えば本書に出てきた重要な伝書は一通り(申楽談義は未収録。これは新潮から出た「世阿弥芸術論集」に入っているが、未読)収められており、値段も三千円ほど。現代語訳も付いています。

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