リチャード・ローティ―1931-2007 リベラル・アイロニストの思想:大賀 祐樹

本書はローティの哲学、そのリベラル・アイロニスト/自らの用いる概念図式に絶対性を担保させない人々/そしてその社会論、認識論、政治論の展開を解説している。その構成もよいので、目次を挙げておく。この小見出しがある意味で記憶を担保する。

    • 序章 アメリカ思想とローティ
      • アメリカの思想
      • ローティの思想における一貫性
      • 本書の構成
      • アメリカの「変化」に対する指針として
  • 第一部 ローティの哲学
    • 第一章 ローティの生涯と思想形成
    • 第二章 認識論的転回と言語論的転回
      • 『言語論的転回』におけるローティ思想の萌芽
      • 「自然の鏡という問題提起」
      • 認識論への批判的考察
      • 消去的唯物論から認識論的行動主義へ
    • 第三章 解釈学的転回
      • 言語論的転回における問題
      • 根底的翻訳と根底的解釈
      • 「会話」としての哲学
  • 第二部 ローティによる自由主義の再構築
  • 第三部 ローティのプラグマティズム
  • 第四部 現実への参加
    • 第八章 ローティの左翼論とその源流
      • ローティによるアメリカ左翼の分類
      • 左翼の連帯
      • 改良主義左翼としての「オールド・レフト」
    • 第九章 ローティによる道徳思想の再生
      • ローティの道徳論
      • ローティとヒューム的な道徳思想
      • ローティの人権論
  • 第五部 ローティの現代的意義
    • 第十章 「真理」の物語論的転回
      • ローティの思想と物語
      • ローティの思想において一貫していたもの
      • ローティ思想の現代的意義


ローティの批判するところの「自然の鏡」例えば像のような、実在と理論との絶対的な対応が存在するという理論を退ける=解釈学的転回、そこから一貫して導き出される積極的自由(カント的な当為)に対する消極的自由(多元的、プラグマティックな自由)の優位、それらを支える可謬性(ミルの用語、人間は間違いうるのだから、正しさは絶対的に定立されてはならない)。また反=基礎付け主義、相対主義の中で選びうる倫理としての「苦痛、残酷さの減少」。ローティのプラグマティズムを、プラグマティズム自体の伝統、ジェイムズとデューイとの比較的に表し、有名な「公と私の区別」をジェイムズの宗教論から受け継いだものであるとする。
またデリダとの論争も「ポストモダンの魔術師」よりも納得しやすいものになっている。デリダとローティが対立するのは、結局ある種の立場の不一致なのだけれど、その差異が明らかに示されていて、誤解の余地が無いほど整理された以上、それは不毛な議論などではないといえる。また「大きな物語」が終焉し、小さな物語が複数存在することにも、肯定的な観点を与えるローティは、確かに何らかの政治的、道徳的立場を明らかにしている。