アルトゥーロの島:エルサ・モランテ

アルトゥーロの島/モンテ・フェルモの丘の家 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-12)
エルサ モランテ ナタリア・ギンズブルグ
河出書房新社
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心理小説としてよかった。思春期の心の機微がこまやかに描かれている。筋を追うことをせずに、内容の紹介を少し書いてみることにする。

アルトゥーロ・ジェラーチェはナポリに浮かぶプロチダという小島に住む14歳の少年で、その名アルトゥーロはアーサー王から取られている。母親とは彼の出産のさいに死別し、父親と二人で暮らしている。父親は彼にとって英雄のような存在であり、よく家を離れてヨーロッパを旅行する。彼が住む島は人間の痕跡を残さず、こういってよければ超時代的に浮かんでいる。父親を尊敬するアルトゥーロだったが、その鏡像的な関係は父が再婚し、新しい妻ヌンツィアータが家に住むようになって変化をうける。ヌンツィアータはアルトゥーロの二歳上で十六歳。アルトゥーロは彼女に母親と女性の両方を見出し、それに対応しつつ、成長してゆく。

この小説は成長小説にジャンルわけすることができる。例えばアルトゥーロが小説の最後で島から出ることは彼の成長の結果だ。
しかし彼はなぜ小説の最後まで島から出てゆかないのだろうか。家系を辿ると、彼らは祖父ジェラーチェの代からこの島で暮らしている。祖父には正嫡ではないがドイツ人との間に生まれた息子ウィルヘルムがおり、彼を島に呼び遺産を与えた。彼は島の人間とは交流せず、ただ一人、盲目のアマルフィ人ロメオとだけ交流していた。ロメオが溺愛したアルトゥーロの父ウィルヘルムは、彼の盲目や愛に対して、突き放すような態度を取りつづけ、その内にロメオは死んでしまった。ウィルヘルムは彼に対して負い目を持つ。

アマルフィ人を苦しませようと、気難しくふるまおうと、やつの家から遠く離れたところをうろついてすごした時間や日々が、みすみす捨ててしまった宝物のようにすら思えたのだ!

(59ページ)
またウィルヘルムが十六になるまでに亡くなった彼のドイツ人の母親は、彼にとっては思い出したくも無い人物らしい。そのような来歴を持つ父親は、よく島を離れて旅にでかけている。それは彼の再婚後も変わらない。アルトゥーロにとってその旅は知の探究や自由の冒険にまで理想化されている。彼は島に縛り付けられているが、それは父親の禁止による。父親が旅支度をしている時に、アルトゥーロが一緒に行きたい、というも、無碍に断られる。(41ページ)

「一緒にだって!」父はぼくをじろりと見ていった。
「行ってどうするんだ?おまえ、子供じゃないか。おれと一緒に行きたいなら、大きくなるまで待て」

彼がこの禁止を超えて島をでるならば、それは父の法に従ってか背いてかでしかない。

彼にとって、はじめての近しい女性であり母親であったヌンツィアータに、アルトゥーロは戸惑う。それは将来回想として書かれるこの文章にも表れており、彼にとってヌンツィアータは未だ解決しない形象であることがわかる。

ところで、今ぼくはひとつのことに思い当たる。ぼくは実際に彼女に話していたときにも、彼女の名前を言うことができなかったが、こうして彼女のことを語る今もその名をいえずにいる(その理由を、ぼくは知らない)。なにか正体の知れない障碍が、ぼくにこんなにも簡単な言葉をいわせないのだ。

だから、このまま、彼女とか、花嫁とか、継母と呼びつづけなければなるまい。

(124ページ)
彼女について初日「ある冬の午後」に感じたよい印象(たとえば120ページ)は、彼女とその夫とが初夜を迎えたその翌日には変化する。彼女は魅力的ではない、とアルトゥーロは書く。

昨日ぼくの目に優美に映った全てのものが、彼女の姿からすっかり消えていた。

(126ページ)
ヌンツィアータの配置は少し露骨なまでにフロイト的で、彼女への感情は愛かもしくは愛への愛と解釈されるが、それは彼女のカトリック的道徳には許されないし、彼女の正面からの拒絶をアルトゥールは受ける。彼女は位置に適合する人間になろうと試みる。まず家に来たときは「ママ」と呼ぶようにアルトゥーロにいうし、ウィルヘルムが婚姻まで財政状況を偽っていたりしたことにも、彼女は赦しを与える。彼女はアルトゥーロが小説のおわりになって気づくウィルヘルムの孤独に気づいてもいる。

「でもあの人は、あたしと結婚しなかったら、いったいどこで(もう年もとってるし)女性の愛情になんて出会えるの?あたしがいなかったら、あの人と結婚する人なんていなかったかもしれない……。あの人は家族なしに生まれたのだから、かわいそうに、きっと一生ひとりで放浪の生活をしたんだわ、軍隊の兵士みたいに……。今はあの人の人生にも、面倒を見るのにあたしがひとり、いるんだわ……」

(334ページ)
ここだけを読むとただの合理化とも見られる。彼女の道徳との折り合いを理由づけているだけだとも。しかしこの時同時に、アルトゥーロは父親についておそらく同じ感情を抱いてもいる。ただ彼女は島に留まり、彼は島を出たがっているだけなのだ。ともあれ、彼女はアルトゥーロを愛しているにも関わらず、やはり彼女自身の倫理観が彼女に島を出ることを許さない。彼女はアルトゥーロを拒絶し、アルトゥーロは激昂した後、彼女をもう愛していない、というのだけれども、はたしてそれをその言葉のまま受け取れるだろうか。

父親が島から出発して、島にいない間何をしているか、についてアルトゥーロは何も知らないが、それを知る人物(トニーロ・ステッラ)が登場して、アルトゥーロの信念を大きく揺さぶる。彼はいわゆるけちな犯罪者であるにも関わらず、父親はその男を心配して刑務所に通ったり、心労が表情に表れさえもする。ステッラはアルトゥーロにおいて父の威厳を保っていた数々の物語の信憑性を一夜で覆してしまう。父親は彼には全く逆らわずに、却って彼を必要としている。父親がステッラを愛していることを知り、彼の祖母に当たるドイツ女性や、アマルフィ人ロメオについての父親の行動を思い起こされるかもしれない。

アルトゥーロが島に縛られていたように、ヌンツィアータやウィルヘルムも島に縛られている。ヌンツィアータは島の外を知ってはいたがナポリの周辺で世界は閉じられており、ウィルヘルムも遠くへの旅には行ったことが無いことを我々は知っている。島の外には第二次世界大戦前の空気が漂っており、島を出る前に、戦争にも名誉はないとの警告もうける。彼のそれ以降を小説ではうかがい知ることはできないので、我々もここで追跡をやめることにしよう。彼が島を出たのは必然のように思われ、それについて善悪の判断を下すことはできそうにないからだ。

追記:
モンテ・フェルモの丘の家:ナタリア・ギンズブルグ - ノートから(読書ブログ)
同書に併せて収められた小説についてはこちら。