マイトレイ:ミルチャ・エリアーデ

エリアーデ自身をモデルにとった、主人公のアランは、インドで運河会社の技術設計員として働くうち、上司のナレンドラ・セン技師(非常に家父長的な人物だ)に気に入られ、彼の家に住まないか、と誘われる。彼ら夫婦からうける好意から、その娘マイトレイとの結婚を望んでいるのではないか、とアランは考え、アランとマイトレイは恋に落ちるが、実はセン技師はアランを養子にしたいと望んでおり、結婚は許さなかった。技師は二人の恋中を知ると激昂してアランを家から追い出し仕事も首にする。マイトレイは気がくるってしまう。アランはというと、彼女を失った後の無気力の中、本小説を書くことになる。

アランとマイトレイの周辺には、ヨーロッパとインドの共同体がたちはだかっていて、たとえばアランの友人たち、セン夫妻という人物がそれぞれを代表しているように思える。この間の溝は溝という形で二人の婚姻を阻んでいるのだろうか。
マイトレイはアランを愛しているものの、恋人のようには愛しておらず、兄弟や友人のように愛している、とアランにいう。なぜならそれ以外の愛が禁止されているからだ。詩人タゴールへの愛や、木への愛(108)などをマイトレイは持つけれども、それはその愛が許されているからだ。本作品の前半部では、彼女の愛は許された範囲を出ない。アランの愛の告白によって、マイトレイは愛の度外れな性質を自覚することになる。もちろんそういった愛がセン技師の望みには沿わず、破滅的なのも彼女は知っている。

「両親はわたしに言いました。『マイトレイ、これからおまえには兄さんができるよ、アランだ。彼を愛するようにしなさい、おまえの兄になるのだ。パパは彼を養子にしよう、そして退職年金生活になったらみんなで彼の国に行こう。あそこならわたし達は自分のお金で王侯のように暮らせるよ。あそこは暑くないし内乱もない、あそこの白人はここのイギリス人のように邪悪ではなく、わたしたちを同胞と見てくれるだろう』と……。それなのに、わたしは今、何ということをしたの?あなたをどんな風に愛しているか、分かるでしょう、今あなたをどう愛しているか?」

(106)
ここまでは、何の溝も無く、いわば対幻想の領域の愛が描かれていた。それはここで一変して、インドにおける結婚について知る必要がある、という段階に移行する。おそらくここで、はじめて溝が自覚される。(されゆく)ある意味でオイディプス的、また対自のようでもある。(例えば119ページで初めて当時のインドの情勢が描かれる)

アランは自らの改宗とベンガル人共同体への参加を、マイトレイは自らの堕落による追放を望んでいる。アランはヒンズー教に改宗したいというが、セン技師にその認識不足をせめられる。アランは愛のみに支えられた宗教を考えているけれども、技師は共同体への参加と「身近な人々への愛情と尊敬を通じて」宗教が維持されると考えているからだ。つまり、アランと技師のあいだの価値観は、愛と実利の順位の反転だといえる。技師はマイトレイにアランを兄弟として「愛するようにしなさい」と教え、アランはヨーロッパを捨てて愛を土台とした「新規蒔きなおし」をしたいと考えている。

マイトレイは、自らの立場を知っている。つまり彼女が彼女の共同体に属するかしないかは、彼女の自由にはならないということを。

でも、もしだれかがわたしを汚したら、みんなはわたしを追い出さなくてはならない、そうしなければ積みは家全体にふりかかるから。そうしたらわたしはあなたの妻になれるわ、わたしもキリスト教徒になるの。だって暴力で、意に反して犯されるならキリスト教徒にとっては罪悪じゃないし、あなたはそのあとでも私を愛するでしょう?

(140)
この信念はアランのそれと対立するものだ。彼が改宗を考えたとき、それはあくまで能動的な行為だったからだ。しかしそれはいったいどのような差異なのだろうか。個人に属する差異なのか、それとも共同体の差異なのか。

それは個人の差異ではない、といわれる。マイトレイにおいては、それは共同体の性質を表している。マイトレイは先の引用のすこしまえでこういっている。

たとえあなたが改宗したところで、みんなはわたしの夫として受け入れはしないでしょう。

共同体に属するか属さないかは、個人をこえたところにある。というか、個人が属するか属さないかを決定できない共同体が存在する、といったほうがいいかもしれない。作品の最後でマイトレイはアランに会えない苦しみから破廉恥な行為を自ら行い、上で書かれていた通りに共同体からの追放を願うけれども、それは叶わない。個人の意思を超えた共同体、というような形象は強化されて小説は終わる。


著者が描いたこの悲劇はマイトレイが属していた共同体の性質に属している、といえそうだがヨーロッパもそれほど自由というわけでもなかった。(特に1930年においては)セン技師がアランを養子に迎えて、インドを離れ欧州の共同体に属さんと考えたそもそもの原因もそれだったし、またアランの友人のインド人に対するオリエンタリズム的偏見もそうだった。けっきょく、二つの共同体は相同の形をしている。