知的創造のヒント・思考の整理学:外山滋比古

知的創造のヒント (ちくま学芸文庫)
外山 滋比古
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思考の整理学 (ちくま文庫)
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本書には大別して、着想する技術、着想を育てる技術、着想を形にする技術が書かれている。この記事では主にその二つ目、着想を育てる方法について、辿っていこうと思う。

1
アイディアはいくつかの既存の文章をアイディアによって異なる独特な仕方で結合させる。そうやって新しいものを生み出すために、アイディアは触媒的と呼ばれる。この種類の創造においては、既存のものの配置を決めること、エディショナーシップが主な創造的行為となる。この創造を行うためには、アイディアを寝かせることが必要である。つまり、まずアイディアをよく忘れなければならない。そして、アイディアが育つ時間を与えなければならない。ノートやメモは、このために必要とされる。

2
ノートはその思考の素材に応じて使い分けなければならない。まず、単なる知識。このためにはノートはなるべく費やさず、労力も少ない方がいい。

(役に立つかと思って書いてあることを)余さず筆記しておきたくなる。[…]これでは[…]むしろ理解をぼかしてしまい逆効果である。[…]なるべく少なく、少なく、と心がけてノートを取るのがノートの知恵である。それがわかっていないためたいへんな労力が無駄になる。

(11・ノート)
反対に、アイディアや発想が浮かんだ場合は、それらをすべてを記録するようにつとめる。アイディアとの一期一会の出会いは、まず忘却から救い上げられなければならない。

ほかの本に書いてあることをうつした読書ノートや講義ノートならかりになくなっても(実際なくなることが多いが)かけがえはないとはいうものの、類似のものがこの世に存在する可能性を残している。ところが、ひとりの人間が偶然のように考えたこと、というのは一回性のもので、一度消えたら永久に帰ってこない。

この単なる着想というようなものは、それ自体はただの素材でしかない。それを更にメタ・ノート(「研究ノート」)などに掬い上げて、抽象性を高めなければならない。われわれがアイディアの良し悪しを判断するには時間が掛かるために、この手続きが必要になる。(ただし、第一のノートに書いた時点ですでに忘却は開始している。当たり前のことだが)

3
そのアイディアはある一定の間寝かされ(=忘れられ)る必要がある。なぜだろうか。本書の理論には、こうある。

しばらく寝させ、あたためる必要がある、とのべた。これも、対象を正視し続けることが思考の自由な働きを妨げることを心得た人たちの思いついた知恵であったに違いない。[…]
寝させるのは、中心部においてはまずいことを、しばらくほとぼりをさまさせるために、周辺部に移してやる意味をもっている。そうすることによって、目的の課題を、セレンディビティを起こしやすいコンテクストで包むようになる。

(整理学・セレンディビティ)
この結果、なにが起こるか。思考が「古典化」して不動の考えとなる。(古木と生木に例えられている(「整理学:時の試練」))また、これを思考の純化や、思考の整理ともいうこともできる。(「整理学:情報の“メタ”化」)

4
このようにして着想は抽象化される。つまり、着想を自らのものにすることと着想を現実化可能なものにすることは少なくともパラレルにおこる。著者はグライダー-コンピュータ的人間と対比して、「知的創造」の技術を本書で述べている。
それには冒頭で述べたように、大別して三つの技術があった。いかに着想を発見するか。それが創造である以上、それはだれかの着想であってはならない。著者はここで、第一次的現実(物理的世界・現実の社会など)と第二次的現実(創作された世界)の区別を導入している。著者は第一次的現実から生ずる着想に着目する。

汗のにおいのする思考がどんどん生まれてこなくてはいけない。それをたんなる着想、思いつきに終わらせないために、システム化を考える。それからさきは、第二次的現実に基づく思考に異なるところはない。真に創造的な思考が第一次的現実に根ざしたところから生まれうることを現代の人間はとくと肝に銘じる必要があるだろう。

(整理学・第一次的現実)
われわれは散発的な、すぐに死んでしまうような着想を常に行っている。本書に書かれた、それを育てるための方法と、完全に熟した着想をいかにして現実に完成させるか。それが創造に他ならない。この記事はその流れにひとつの見通しを与えることを目標にした。