哲学者は何を考えているのか:ジュリアン バジーニ , ジェレミー スタンルーム

本書は本職の哲学者や他分野の思索家ら22名へのインタビューをまとめたものです。各章には15〜20ページ程しか割かれないにもかかわらず、それぞれ密度の濃いものとなっています。
本書では多くのインタビュー本の体裁とはことなり、各人の伝記的記録、哲学の要略、インタビュアーがインタビューにあたる態度、そしてインタビュー後に加えられた補足説明が再編集されて各章を為しています。そのため、入門書以前の導入として、役に立つと思われます。

また、各人の立場は、もともとそれぞれ鮮明ではあるのですが、インタビューという手法をとったことでより先鋭に浮き出てくる思想も確認できます。例えば、アメリカの哲学者ジョン・サールへのインタビュー読んでみます。彼は外在的実在論の擁護者ですが、実在を「背景的前提」として信念に先立つものとして置き、それなしには対話は成立しない、と論じます。つまり、

『われわれの通常の対話が、それが正常に機能しているとわれわれが見なすような仕方で実際に機能していると仮定せよ。さすれば、外在的実在論が正しくなければならないという帰結が導かれる』

(308)
という、対話の条件を考慮した超越論的論証です。
ここで疑問なのは、サール本人は「(実在論に)対するありとあらゆる反論に、どう対処したらいいのか、(…)私のやり方は、逆に、それらに攻撃を加えることです」つまり、批判に対する再反論で、反実在論の中に実在が背景的前提として存在することを指摘することによって実在論を論証する、としています。
この後、インタビュアーのバジーニから外在的実在論への反論として遠近法主義が提出されます。遠近法主義とは実在についてはある視点からしか語りえないというものですが、それについてサールは「あらゆる知識は、ある特定の視点から見たものであるという自明の事実から、それゆえ、ただ存在するのは視点のとり方のみであるという結論を導くという、明白な過ちを犯していると思います。それは誤謬推理です」(309)と語り、続いてこの誤謬推理の源流は認識論の伝統にあると語ります。それはデカルト的な問題設定であり、つまり方法的懐疑から得られる懐疑に応答することが哲学の主要目的であるという設定、そこから脱却しなければならない、ということです。
それによって、懐疑論が提出されたとき、それに対する態度は「それは興味深いパラドクスだ。ぜひそれを解いてみよう」というもので、「いったんそれについて十分に心を悩ませたなら、あとは私たちはそこから降り」るべきだと言われます。しかし私にはこれは懐疑論への正しい批判になっているとは思えないのです。

少し細かく読みすぎましたが、他にもこの章にはサールの実在の社会的構築の理論や、総合的理論への試みなどが語られており、大づかみに言えば「何のために哲学をするのか」さえ伺うことができるかと思います。また、日本ではあまり名を聞かれない学者等も多く、彼らの思想も俯瞰できるでしょう。本書の思想家は他分野にわたるので、原著者らや、訳者の苦労も思われるところですが、読みやすい訳文となっており、すらすらと読むことができました。