古楽とは何か 言語としての音楽:ニコラウス・アーノンクール

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中世からフランス革命に至るまで、音楽は文化や人生の大黒柱の一つだった。音楽を理解することは一般教養に属していたのである。今日では音楽は[…]単なる装飾と化してしまっている。

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「装飾としての音楽はまず第一に<美しく>あらねばならない。音楽はけっして煩わしくてはならないし、人間を驚かしてもならないのである」
しかし現代の音楽はわずらわしく、人間を驚かせるものでありうる。だから逃避として美と調和をもつ「古い音楽」が要請されるのだが、これは「驚くべき誤解の連続」でしかないとアーノンクールはいう。なぜなら<美しさ>とは本来音楽の一構成要素であり、それを特定の判断基準として用いるときには、すでに他の構成要素を無視してしまっているからだ。

フランス革命を境に、音楽は万民に理解されるべきものとなり、そのために音楽を単なる美と見る視点が生まれた。それ以前の音楽に相対するときは、別の態度で臨まなければならない。ではかつての音楽とはどのように受容されてきたのか。

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本来、音楽は言語をレトリックのように補佐するものだった。「言語は、それが即物的な発言のかなたで深みを得る瞬間には、すでに歌と連結されている[…]というのは、歌の助けを借りて、純粋に情報的なものを超えた内容が、より明瞭に表現されうるからである」。ただし、それだけではない。音楽は「やがてそれ本来の美学へと向かい(ただし音楽と言語との結合は常に明らかであり続けた)、リズム、旋律、和声などの数多くの独自の表現手段を持つに至った。こうして、人間の肉体と精神に及ぼす法外な力を音楽に与えているある種の語彙が成立したのである」。語彙とはなにか。

クラングレーデ(音による言語、音話)の諸音型(=語彙)は程度に差はあれ、十七世紀のレチタティーヴォや独唱歌にみられる特定の語や表現内容に見出された特定の音の連なり、旋律である。

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このクラングレーデを聴衆が理解することは当時の作曲家や演奏家に前提されていた。おなじく当時理解が前提されていたものに、音を連結したりぶつけたりする諸規則、アーティキュレーションがあった。「アーティキュレーション」から例を挙げると、図式的に適用され、全体に構造を与える強弱法、それを撹乱する和声法、リズム、強勢法など。
多くの作曲家が楽譜にアーティキュレーション記号を書かなかったのとは異なり、バッハは厳密に支持を書き込んだ作品を数多く、残している。(67)現代の平坦な演奏とは異なり、そこにみられる異なるアーティキュレーションの重ねあわせは演奏において多層性を生み、それは「語りかけるように響く」(69)という。アーティキュレーションバロック音楽のための「最も本質的な表現手段」なのである。

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ではこの、「およそ1650年以降ほぼ二百年にわたって音楽における土台的な役割を果たしていた」音による会話はどのようにして生まれたのか。

「それ(1600年頃)以前、音楽は第一に音化されたポエジーであった。人々はモテトゥスやマドガリーレという宗教的あるいは世俗的な抒情詩に作曲したが、その際、テクスト(歌詞)全体の雰囲気が音楽表現の出発点とされた。テクストを<話された言葉>として聴き手に伝えることはまったく問題ではなく、テクストの内容、時にはむしろ詩の雰囲気に作曲者は霊感を得た。」(208)
このような状況に対して突如、「言葉自体を、そして対話をも音楽の根本に据えようという考えが振って落ちた」。このアイディアはバロック音楽=<話す音楽>の源となった。この新しい音楽とはモノディである。この新形式をアーノンクールは「完全に新しいもの」であると語る。(212)
続いてモンテヴェルディによって、音楽劇の表現言語を作り上げる努力がなされた。彼の努力によって、オペラやマドリガーレの歌詞の決まり文句が、似通った特定の音型(フィグーラ)と結び付けられる段階から、同じ言葉にさまざまな音型を充て、違った表現内容を与えるという段階に移行する。この語彙は次第に教養を持った聴き手にとって馴染みの物となり、音型は言葉なしに使用することが可能になった。更に抽象化が進み、声抜きの器楽にも適用されることができるようになる。この諸音型は十七、十八世紀、古典主義時代における<絶対>音楽にみられる対話的要素の根源である、とアーノンクールは指摘する。「このような作品は事実上言葉から、また、しばしば具体的あるいは抽象的な修辞学的標題によって構想されている。」(216)

終わりに

アーノンクールの叙述は次いでモーツァルトに向かい、彼の音楽に対する「美しさ」とは異なる態度を提示する。モーツァルトの時代までにすでに「複雑で一部の通人のみが理解できる後期バロックの音楽から、誰もが、たとえ生まれてから一度も音楽を聞いたことのない人でも理解できるくらい単純な」新しい<より自然な>音楽への急激な転換が起っていたが、モーツァルトはそれを拒絶するのである。モーツァルトにとって重要なのはポエジー(詩情)ではなく「対話」であったとアーノンクールはいう。「美」ではモーツァルトを考えるために不十分なのである。*1


本書で叙述されているのはかつての音楽を理解するための演奏家と聴衆者にむけての提言と指導といえるだろう。音楽聴取の態度は時代的に規定されている。楽器や音高、記譜法、音響。当時は周知だったにも関わらず我々が知らない演奏法、音型に結びついた意味。これらを学び、かつての音楽に近づこうとすることの意義を、アーノンクールは以下のように表現している。

もし今日われわれが歴史的な音楽を保護育成するならば、偉大な時代にわれわれの先輩たちがしたのと同じようにはできないだろう。われわれは、現代に規範をみるような無邪気さは失ってしまった。作曲家の医師こそが最高の権威なのである。われわれは古い音楽そのものを当時の姿で見、それゆえにその作品を忠実に表現するように勤めなければならない。それは博物館的な理由からではなく、それが今日、古い音楽を生き生きと、しかもその価値にふさわしいかたちで再現するための唯一の正しい道であると思われるからである。

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知識は演奏へのひとつの重要な手段である。われわれは理解を深めることによって、音楽自身の「深い意味」を知ることができるのである。
この記事では「音による対話」の発展を中心に読んでみた。本書はもちろんそれに尽きるものではなく、広い知識と経験によって読み応えのあるものになっている。

モーツァルト:レクイエム
アーノンクール(ニコラウス) シェーファー(クリスティーネ) フィンク(ベルナルダ) シュトライト(クルト) フィンレイ(ジェラルド) アルノルト・シェーンベルク合唱団
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以下のセットにも収録。
Classical Music: 25 Legendary

*1:モーツァルト以後、フランス革命が起こり、対話としての音楽は失われてゆく。以降の音楽は「平面的な音による絵画」と表現される