コンセプチュアル・アート:トニー・ゴドフリー

コンセプチュアル・アート (岩波 世界の美術)
トニー ゴドフリー
岩波書店
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「本書では、現在も進行中のコンセプチュアル・アートの歴史について、明快で生き生きとした、かつ率直な紹介をしていくつもりであるが、それをもってなにごとかを決めつけることは私にはできないし、するつもりもない。つまるところ、なにを信じるかは読者にゆだねられている。

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本書ではキュビズムの誕生をコンセプチュアル・アートにとって重要であった、とみなしている。理由は四つあり

(1)レディメイドの使用の先触れとして日常的なイメージや事物を導入した
(2)認識論つまり表象と、われわれがなにを知っているかをいかにして知るかという問題の探求に、公然と取り組んだ。
(3)見る人の期待の裏をかいた、あるいはそれを撹乱した。
(4)街中の生活とスタジオの密室的な生活の融合を目論んだ

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といわれる。キュビストから決別し、1915年にニューヨークに移ったデュシャンは、レディメイドという思考を形成しゆき、1917年には有名な《泉》を発表する。1916年にはダダも起こっており、彼らは既存の芸術規範への怒りに満ちた否定を21年に終わるまで続けた。精神分析理論に大きく影響をうけたシュルレアリスムの展開を含めたこれらモダニズムの芸術がいかに伝統的な芸術に対峙したのかが一章で概観される。60年代になると、芸術家は別の種類の芸術を生み出したいと希求し始める。(87)フルクサスミニマリズムという二つの運動から派生した(100)六十年代後半のコンセプチュアル・アートは、アーティストの頭の中ではじまった概念が、その作品を見る人の頭の中で自己省察に結晶する「この相互作用」に物質が必要なのか、という問いかけ(112)によって、次第に脱物質化されゆき、身体や、言葉、または空間を用いるようになる。(4〜6章)また当時の政治に関わるような作品群(7,8章)、写真の導入、写真を通じて「意味の生成にあたって写真がいかに使われているのか」といった一連の問いを提出することによって「見る行為に対する自覚を」高めた一連の試み(九章)、八十年代以降(原著出版は1998年)のコンセプチュアル・アートの展開など、様々な立場の作品群が四百ページ以上にわたってみられる。それらの傾向の解説、時代的背景の説明などは果たしてくれるが、本書ではこの「未完の企図」(420)としてのコンセプチュアル・アートの総括は行われず、あくまで個々の作品に留まって解説がなされている。
われわれは、本書の叙述を通じて、いかにして個々の芸術家がそれぞれ異なった仕方でその思考を表現したか、を知ることができるだろうと思う。