『友愛のポリティックス』ジャック・デリダ

友愛のポリティックス I
ジャック デリダ
みすず書房
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この本がわかり辛いのは西洋の共同体論の反系譜的な読み直しに内容が留まっているからだと思う。別の共同体を考えるために西洋の伝統的な共同体についての言説を脱構築するのですが、そこで終わっているように思えます。

まずアリストテレスの言葉「おお友よ、一人も友が居ない」が分析される。引用であり「引用の引用」を西洋の偉大な哲学者ら(キケロ、カント、ブランショモンテーニュニーチェ・・・)が行ってきた。ではどのような文脈でか。主に友愛の文脈で。この引用の歴史において、はじめから数量化が行われ続けていて、それは数量化であり、兄弟化でもあった。

アリストテレスにおいては、独異性としての数。友愛は時間において、習慣の試練で試されるものである以上、あまり多くの友を持つことはできない。つまり寡頭制。
(また後で見ることになる、民主制についての言説においては、「必然性」において決断が排除されること、それを可能にする「兄弟愛」という観念が与える義務、そして民主制=最大多数の決定というふうに導入されている「数」がやはりみられている)

アリストテレス以来の歴史を僕がもう一度追っていっても、意味がないと思う。ともあれ、読んでいくうちにわかってくるのは、キリスト教的友愛とギリシャアリストテレス)的友愛の間に、それほどの差異は無いということ(というか、アリストテレス的な友愛が常に侵入してくるのだ。それは友愛を政治化している)、そしてそれを縦に見てみると、常に兄弟化の過程だったということだ。それに伴った女性の排除はそれ以前にも語られてきたけれども、たぶんカントによって愛と友愛の区別と共に際立ってくる。引力と斥力。引力は愛で、斥力は尊厳であり、また友愛の条件でもある。引力の過剰は危険である、とカントはいっているらしい。ここで、女は友愛から排除される。

友愛の政治。ニーチェによって、友が敵になる可能性が示される。というか、本当の敵というのは、今までもずっと友だったのではないか。このことをよく考えた思想家として、シュミットが導入されて、彼の友敵理論(政治的なものの概念)やパルチザンの理論をデリダは読んでゆく。友敵の区別が政治的なものを生み出すけれども、近代化に従い無化されて、敵がいなくなる。これは政治的なものの消失を意味するのではなくて、シュミットに従うとかえって超-政治化であり、戦争の実在的可能性の増大である。それは結局「本質的諸差別」を無化してしまうという。敵と犯罪者の差別のような、戦争と平時に関わる諸差別を。シュミットはこれを深淵といい、また後に問いに付しうる可能性として友を敵になりうるものとして発見している。




それではその他の友愛はありうるのだろうか。デリダは「おそらく」という、彼の言葉で「メシアニズム無きメシア性」とか、この本だと「テレイオポイエーシス」的語りとかいわれるようなある種の到来に対してシステムを開くことの中にそのありかたを見ている。

ともかく、ここではブランショやナンシー的な共同体との違いを、強調しておくにとどめることにします。
無為の共同体」などは、中性化の動きだと、デリダは本書でいっています。つまり、結局兄弟愛の枠組みの中にあるということで、それは共同体を問うことができないことに表れてくるのでした。(他の共同体ではなくて、この共同体であること)また、災厄のエクリチュールにおいて、われわれ兄弟、とブランショはいうときにおいて。

対してデリダは、「兄弟」とかわれわれ、とかいう言葉をあまりに簡単に導入して信じずに、逆に、来るべき民主主義、として、他者の到来にむけて、未来に向けて開けないか、とたぶんこういう風に予告します。(そしてそこで本書は閉じられるのです。「ハイデガーの耳」を残して)




その後については、つまり「来るべき民主主義」については、その後の諸著作で、例えば最近出たならず者たちなんかが扱っているはずですが、まだ読んでいないのでした。

12/29追記
無為の共同体」とは、脱固有化された死の可能性としての他者、その存在自体が共-出現的であることに範例を持っているように思われる。また「恋人たちの共同体」は差異があらわになる一つの共存在の極点だった。このような諸共同体のことを本書でデリダは西洋の伝統としての「兄弟愛」の中性化だといっているのだけれども、また現実の共同体への問いを不可能にする、ともいっている。肯定的に外部的な対象として考えた日本の西田・田辺の矛盾的自己同一/絶対媒介(種の思想)とは反対に、否定的に言及しながらも、実はその普遍化は問いを抑圧するという形で実定法的な共同体に寄与しているのではないか。
付言すると、西田は自己の省察から哲学を始めて、「否定の否定」として、「無」を発見したのでした。しかしこれは周知の通り、現実的な対象として考えられるに至ったのでした。すると「否定の否定」と「述語論理」を同じものの記述の差異として考えた段階で、この「無」(東洋的無??)は現実的な(ラカンのことばでいえば象徴界の)対象となってしまうのでした。