西田幾多郎-絶対無とは何か/西田哲学の「行為的直観」

最近はいろいろと、西田幾多郎関係の本を読んでいて、今もまだ何冊か残っている。そのうちで特に面白かった本を二冊ほど書いておき追うと思います。

西田幾多郎―「絶対無」とは何か (シリーズ・哲学のエッセンス)
永井 均
日本放送出版協会
売り上げランキング: 175479
おすすめ度の平均: 4.5
5 100ページ足らずで西田哲学のエッセンス、本当にまとめてしまった。
5 私がいる場所
4 西田の作品を言語哲学として丁寧に読み解く
3 読者を選ぶ本。入門書ではない。
4 与格としての<私>
まずはこちら。これは西田の哲学を体系的に把握するというよりも、「絶対無」概念の素晴らしい解釈でした。この本の内容の中で僕がもっとも驚かされたのは、西田において「超越的述語面」と「超越的主語面」が実は表裏だということ。
僕は今まで彼がモデルとしてきた、アリストテレスの類-種関係の基底=超越として、つまりピラミッドの頂点と底辺のようなイメージで理解していたのでこの二つを直接的に繋げてしまえることにいっとうびっくりしたのでした。しかし確かに説明を読むと、そう思えるのです。述語面を間主観性の解読として、「私と汝」を読解してゆく後半も読み応えがあります。それほど難しく書かれておらず、あっさりと読み終えられますが、相当独自な解釈がなされています。

もう一冊はこの本。在庫切れですが。

「行為的直観」とは西田の基本概念の一つで、一般的には行為とは結びつかないものと見られている直感することが歴史的(弁証法的)に自己を発展させ行く「歴史的身体」が行う行為として見られたとき、直感即行為として結びつく、それがつまりポイエシス的一般者であるということなのだろうけれども、実にわかりにくい。
これは相反する概念を繋げたことに源を持つのですが、どうも既存の哲学の枠組みでは解釈しきれない部分があって、それが一つの難点として残されている。この問題に真っ向から取り組んだのが、この本です。
残念ながら未完なのですが、それでも一つの結論はでています。西田は実践を正しく理解していないというのがそれで、つまり行為的直観は実践を装った概念であるというものです。それについて僕が肯定も否定も示せないのは未だこの本を理解しきっていないからで、それにはまだまだ時間が掛かるだろうと思います。

それと、普通に入門として読むなら、「善の研究」や、上田氏の編集した「哲学論集」や上田氏の入門書などがよいかと思います。

西田幾多郎哲学論集 1  場所・私と汝―他六篇   岩波文庫
西田 幾多郎 上田 閑照
岩波書店
売り上げランキング: 7797
おすすめ度の平均: 3.0
3 主客の転倒ー禅の哲学化
善の研究 <全注釈> (講談社学術文庫)
西田 幾多郎
講談社
売り上げランキング: 16917