ダメットにたどりつくまで:金子洋之

ダメットにたどりつくまで (双書エニグマ)
金子 洋之
勁草書房
売り上げランキング: 188909

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%A1%E3%83%83%E3%83%88
本書はダメットの入門書として書かれている。僕のように一冊の本を読んでその内容をかけばいい、というのではなくて、ダメットの立場を再構成していて、とてもわかりやすい。構成もよく、読んでいて混乱することも無いと思う。ただし、ある程度の前提知識は必要なのでそこにも触れつつ、軽く本書全体の見通しをつけられればと思う。

反実在論とは何か」という興味深い副題が目を引く。そして本書もここから始まる。従来、懐疑論や観念論と結び付けられてきた反実在論を、ダメットは別の立場から捕らえなおしている。実在論とは、われわれの観察に関わらず、外的事物が存在するという立場のことである。反実在論とは、そのような事物の構成、存在、生起にわれわれがなんらかの仕方で関わる、とでも理解しておけばいいかと思う。
ダメットはどのように実在論/反実在論の対立を捉えなおすか。それは採用する意味論の差異としてである。そしてどちらをえらぶべきかという考察の場(いわばセカンドオーダーの理論)として、「意味の理論」が導入される。

第一章から第四章までは、ダメットの背景としてフレーゲ哲学と直感主義論理が挙げられ、彼らの哲学とダメットとの関わりが詳しく解説されている。
しかしここからは大まかに書いていこう。なぜなら、本書の内容をそのまま辿っても、中途半端な理解にしか到達しようがないからだ。本書はそうとうに気を配って書かれている。読んでいて論点が不明確になることはまず無いだろうし、それに本書はダメットに至るまでの流れを相当圧縮して書いているので、僕の不明瞭な要約ではかえって分かりにくくなってしまう可能性があるからだ。そのため、大まかになにが描かれているのかを列挙することにする。

・第一章では、ダメットの背景のひとつ、フレーゲが説明される。フレーゲの行った言語論的転回、存在論的カテゴリーに優越するものとして言語論的カテゴリーを導入した。ダメットはその転回と文脈原理は評価しつつも、数の意味についてのある部分では批判する。ここは僕には意味がつかめなかったので、詳しい方の意見を乞いたく、引用しておきます。

フレーゲの(数についての)同一性の基準は、数名辞が意味論的な支持機能をもつことを示すところまでは働くものの、量化子が走る対象領域の中の対象を確定するところまでには至らない。ダメットがここに見て取るのは、非述語性といわれる困難である(p.35)

・第二章では、直感主義とはなにか、それはどのような論理をもつかが説明された後、なぜ反実在論の論理として直感主義が選ばれるか、が述べられる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%B0%E5%AD%A6%E7%9A%84%E7%9B%B4%E8%A6%B3%E4%B8%BB%E7%BE%A9
ダメットが三値論理(真でも偽でもないというギャップを認める)のは、それが合成原理を保障する限りにおいてである。これはうまく説明できないので、本書を読んでほしい。p.74。ようするにここでダメットが行っているのは、意図的に二値論理では合成原理が成り立たない状況を作り出して、そしてその場合三値論理では合成原理が保障されるということを示すといったことである。このばあい、意味論のレベルにおいては、多値論理は意味を持つことになる。そしてダメットはそのような役割しか三値論理に与えていない、という。
ところで、言明が主張されるレベルにおいて、三値論理、すなわち「真でも偽でもない」は必要ない、とダメットはいう。さらに、そういった主張のレベルをはじめから直感主義は考慮しているので、反実在論者は直感主義を選択すべきなのだ、とまとめられる。

・第三章では主にクワイン全体論ホーリズム)に対抗する形で、論理の改定可能性を擁護するダメットをみている。「全体論言語観」と「意味は使用により決定される」という二つのテーゼが結びつくとき、われわれは論理を改定できなくなる、とダメットはいっている、といわれる。
そこでダメットが提案しているのは「分子論的言語観」といわれるものである。これはある文を理解するのに必要な部分を、ある有界に境界化するのが、つねに可能である、という立場である。つまり言語の全体の理解が言明の理解に直接関わる全体論的言語観との違いは、そのパーティショニングの可能性の有無(p.102)にある。全体論的言語観にたいして、言語の規範性を説明できない、ということと、コミュニケーションの分析に困難をもたらす、という二つの批判が語られる。

・第四章においていわれるのは、ダメットの表出論証であり、その表出の意味である。著者はダメットの批判の前提となってきたダメットがいう「表出」についての「標準解釈」が実はそれ自体全体論的言語観にたつものであり、むしろダメットのいう「表出の要求」は別の意味、つまり分子論的言語観を支持するものである、という。それはそのつど言語を保存拡大的に自らの正当性を証明しなければならず、

・最後の第五章において、ダメットの意味理論が詳説される。ディヴィドソンを批判して「つつましい意味理論」といい、それに「徹底した意味理論」を対置している。この章(と前の章)はマクダウェルの批判に対する再批判という形をとってもいる。マクダウェルの批判は、意味理論が言語から離れたところではありえない、というのに対して、著者は徹底した意味論の捉え方として「話者と概念の間のリンクを想定するような観念は一切用いられていない」理論として、そういったリンクをあらかじめ想定する理論と区別するものと捉えている。




どうもうまく書けませんでした。でも良い本です。立ち読みでもして、内容が分かり辛ければ「言語哲学大全」の一巻だけでも読んでおけば、よいかと思います。本書はもともとが相当圧縮された内容なので、どこまでかけばいいかがまったくつかめなかったこともありますが、ともあれ精進したいと思います。
言語哲学大全1 論理と言語