象徴形式としての遠近法:エルウイン・パノフスキー

本書ではギリシャからルネサンスに至る、遠近法の発達が分析されている。遠近法について、本書はまず、デューラーの定義から出発する。それは、画面やレリーフがそのものではなく、投影面として、スクリーンとして捉えられている場合に、用いられる直感形式の表現である、というものである。この「中心遠近法」は、連続した、無限で等質的な、いわゆるユークリッド空間を形成することで成立しているが、そこで二つの前提が要請されるという。
その前提とは「われわれがただひとつの動くことのない目で見ているということ」「視覚のピラミッドの平らな切断面が、われわれの視像の正確な再現とみなされてよいということ」であるが、これらの前提はわれわれの事実的主観的な視像を、捨象するものだとパノフスキーは言う。何故ならば、知覚にとっての空間とは、無限でもなければ等質的でもないからである。「等質的空間とはけっして所与の空間ではなく、作図によって作り出された空間なのである」。(本書12p、また、カッシーラー「シンボル形式の哲学?「神話的思考」岩波文庫、173p」)
具体的には、精密遠近法による作図が行う変換は、次のような諸結果をともなう。生理的空間における諸価値を否定し、空間を等質化することで、空間の総体を「連続量」に還元する。実際のところわれわれの視野は二つの動く目によって構成されるため、球面状になるのだが、それを考慮しない。われわれの物理的眼球に描かれる機械的プロセスの結果としての「網膜像」と、それが心理的条件付により変容をうけた結果である「視像」との区別も考慮することができない。また、この網膜像の段階においてすでに、平らな切断面を仮構する精密遠近法の投影面が、網膜像における凹形に彎曲された投影面とは異なっている点、である。
このうち最後の点、つまり網膜像における彎曲は、近代において何度か発見されてきたことであるが、古代においては自明であった、と指摘される。そしてこの光学に基づいた理論は、物の大きさについて、次のような(近代とは異なった)前提を持っている。

<(眼窩上への投影としての)見かけの大きさは、対象の眼からの距離によって決まるのではなく、もっぱら視角の度合いによってきまってくる。(したがって、その割合は、厳密に考えるなら、角度ないし円弧によってのみ表されうるものであって、単なる長さの尺度では表されえない)>

(以上、19ページ)

この前提は、われわれの知る遠近法とは両立しえない。すると、古代においてはどのような遠近法が用いられてきたのか、と問われるわけだが、パノフスキーは古代においては投影図における、投影面の直線の代わりに円弧を用いて、次いでこの円弧を弦で近似していたのではないか、という。この方法で描かれた像では、奥行き方向の線を延長してゆくと、それらの点はある共通の軸上(消失軸)で出会う事になる。
(本書25p)
このようにして古代における遠近法がスケッチされた後、しかし、このような作図法の違いは、単に数学的な問題であって芸術的な問題ではないのではないか、とパノフスキーは自問する。ところで、ここでわれわれはこの小論の目的を知ることができる。
つまり「遠近法は、「精神的意味内容がそれによって具体的感性的記号に結び付けられ、この記号に内面的に同化されることになる」あの「象徴形式」の一つと呼ばれてもよい」(27)のであり、芸術上の時代や地域がいかなる遠近法を有するかが、「これらの時代や地域にとって本質的な重要性を」もつために、われわれは遠近法の歴史をたどることで、象徴形式の歴史的変遷を知ることができる。そして以下では、どのような路程を辿って、近代的遠近法が成立したか、が解説されることになる。

まずは古典古代、立体芸術においては、なんらかの仕方で擬人化された諸要素を構造的ないし彫塑的に群構造体に組み上げること、が芸術とみなされていた。次いでヘレニズムにおいて、「内側から動かされる物体の価値とならんで外側から見られる表面の魅力をも」が肯定されるようになり、個体を取り巻く「空間性」の表現価値が感じられるようになるが、いまだ空間は物体とその間隙とをその高次において統一する、等質化された体系空間になってはいない。「古代にはそうした包括的統一性が欠けているので、空間性に付け加えるすべてのプラスが、いわば物体性のマイナスによって購われなければならないのであり、したがって空間が事実上物を蚕食し、それによって身を養っているように思われる。」(30)この空間観の近代化を精密遠近法の成立にパノフスキーは見ているのである。空間を高さ、幅、奥行きのあいだの関係からなる総体と定義した(そして物体と非物体を延長体のもとに統合した)古代の空間理論はなく、「世界の全体はつねに、根本的に非連続なものにとどまっていた」。(32)

パノフスキーは中世の果たした美術史的役割を、古代において「多数の個物として描かれていたものをたがいに融け合わせて、現実的な統一へ」(37)もたらした点にみている。それは絵画における空間性の構成要素が平面化される過程である。ロマネスクにいたり、平面は空間性を暗示するのをやめ、単なる平面となる。「あらゆる空間的イリュージョンが決定的に放棄されてしまったかのように思われるのであるが」この変形は近代的空間が登場するための予備条件であるという。なぜなら、空間と物体とが同じ仕方で平面に還元されたのであれば、これ以降空間と物体とは等質性をもつことになるから。(43)

「建築と、殊に彫刻において強められた北方ゴシック的な空間感覚が、ビザンチン絵画のうちにただ断片的に保持されていた建築の形式や風景の形式をわがものにし、それらを相互に融合して新たな統一へもたらすところで」近代的遠近法はその端緒につく。(47)この遠近法はブルネッレスキとアルベルティによって方式化され、此処に至って空間が合理化される。これは同時代に起こった無限な経験的空間の発見の表現であり、カントが後に形式化することになる空間観でもあった。

主観的視覚印象が大幅に合理化されることによって、まさしくこの視覚印象こそが、確固たる基礎を持った、そしてまったく近代的な意味で「無限」である経験界を構築するための基盤となりえたのである。(…)それは精神生理学的空間を数学的空間へ移行させることであり、言い換えれば主観的なものの客観化なのであった。

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本書の、遠近法の成立を「精神史」として解き明かす試みはとても刺激的だった。けれども私の基礎的な理解不足のために、分かりにくいだけならまだしも、間違いも多いかもしれない。記事にすることにしたのは、書くことを通じてしっかりと読んでおきたいと思ったからです。また本書は文庫で出版されているが、今回用いたのは2003年のペーパーバック版でした。