古楽とは何か 言語としての音楽:ニコラウス・アーノンクール

1

中世からフランス革命に至るまで、音楽は文化や人生の大黒柱の一つだった。音楽を理解することは一般教養に属していたのである。今日では音楽は[…]単なる装飾と化してしまっている。

(9)
「装飾としての音楽はまず第一に<美しく>あらねばならない。音楽はけっして煩わしくてはならないし、人間を驚かしてもならないのである」
しかし現代の音楽はわずらわしく、人間を驚かせるものでありうる。だから逃避として美と調和をもつ「古い音楽」が要請されるのだが、これは「驚くべき誤解の連続」でしかないとアーノンクールはいう。なぜなら<美しさ>とは本来音楽の一構成要素であり、それを特定の判断基準として用いるときには、すでに他の構成要素を無視してしまっているからだ。

フランス革命を境に、音楽は万民に理解されるべきものとなり、そのために音楽を単なる美と見る視点が生まれた。それ以前の音楽に相対するときは、別の態度で臨まなければならない。ではかつての音楽とはどのように受容されてきたのか。

2

本来、音楽は言語をレトリックのように補佐するものだった。「言語は、それが即物的な発言のかなたで深みを得る瞬間には、すでに歌と連結されている[…]というのは、歌の助けを借りて、純粋に情報的なものを超えた内容が、より明瞭に表現されうるからである」。ただし、それだけではない。音楽は「やがてそれ本来の美学へと向かい(ただし音楽と言語との結合は常に明らかであり続けた)、リズム、旋律、和声などの数多くの独自の表現手段を持つに至った。こうして、人間の肉体と精神に及ぼす法外な力を音楽に与えているある種の語彙が成立したのである」。語彙とはなにか。

クラングレーデ(音による言語、音話)の諸音型(=語彙)は程度に差はあれ、十七世紀のレチタティーヴォや独唱歌にみられる特定の語や表現内容に見出された特定の音の連なり、旋律である。

(194)
このクラングレーデを聴衆が理解することは当時の作曲家や演奏家に前提されていた。おなじく当時理解が前提されていたものに、音を連結したりぶつけたりする諸規則、アーティキュレーションがあった。「アーティキュレーション」から例を挙げると、図式的に適用され、全体に構造を与える強弱法、それを撹乱する和声法、リズム、強勢法など。
多くの作曲家が楽譜にアーティキュレーション記号を書かなかったのとは異なり、バッハは厳密に支持を書き込んだ作品を数多く、残している。(67)現代の平坦な演奏とは異なり、そこにみられる異なるアーティキュレーションの重ねあわせは演奏において多層性を生み、それは「語りかけるように響く」(69)という。アーティキュレーションバロック音楽のための「最も本質的な表現手段」なのである。

3

ではこの、「およそ1650年以降ほぼ二百年にわたって音楽における土台的な役割を果たしていた」音による会話はどのようにして生まれたのか。

「それ(1600年頃)以前、音楽は第一に音化されたポエジーであった。人々はモテトゥスやマドガリーレという宗教的あるいは世俗的な抒情詩に作曲したが、その際、テクスト(歌詞)全体の雰囲気が音楽表現の出発点とされた。テクストを<話された言葉>として聴き手に伝えることはまったく問題ではなく、テクストの内容、時にはむしろ詩の雰囲気に作曲者は霊感を得た。」(208)
このような状況に対して突如、「言葉自体を、そして対話をも音楽の根本に据えようという考えが振って落ちた」。このアイディアはバロック音楽=<話す音楽>の源となった。この新しい音楽とはモノディである。この新形式をアーノンクールは「完全に新しいもの」であると語る。(212)
続いてモンテヴェルディによって、音楽劇の表現言語を作り上げる努力がなされた。彼の努力によって、オペラやマドリガーレの歌詞の決まり文句が、似通った特定の音型(フィグーラ)と結び付けられる段階から、同じ言葉にさまざまな音型を充て、違った表現内容を与えるという段階に移行する。この語彙は次第に教養を持った聴き手にとって馴染みの物となり、音型は言葉なしに使用することが可能になった。更に抽象化が進み、声抜きの器楽にも適用されることができるようになる。この諸音型は十七、十八世紀、古典主義時代における<絶対>音楽にみられる対話的要素の根源である、とアーノンクールは指摘する。「このような作品は事実上言葉から、また、しばしば具体的あるいは抽象的な修辞学的標題によって構想されている。」(216)

終わりに

アーノンクールの叙述は次いでモーツァルトに向かい、彼の音楽に対する「美しさ」とは異なる態度を提示する。モーツァルトの時代までにすでに「複雑で一部の通人のみが理解できる後期バロックの音楽から、誰もが、たとえ生まれてから一度も音楽を聞いたことのない人でも理解できるくらい単純な」新しい<より自然な>音楽への急激な転換が起っていたが、モーツァルトはそれを拒絶するのである。モーツァルトにとって重要なのはポエジー(詩情)ではなく「対話」であったとアーノンクールはいう。「美」ではモーツァルトを考えるために不十分なのである。*1


本書で叙述されているのはかつての音楽を理解するための演奏家と聴衆者にむけての提言と指導といえるだろう。音楽聴取の態度は時代的に規定されている。楽器や音高、記譜法、音響。当時は周知だったにも関わらず我々が知らない演奏法、音型に結びついた意味。これらを学び、かつての音楽に近づこうとすることの意義を、アーノンクールは以下のように表現している。

もし今日われわれが歴史的な音楽を保護育成するならば、偉大な時代にわれわれの先輩たちがしたのと同じようにはできないだろう。われわれは、現代に規範をみるような無邪気さは失ってしまった。作曲家の医師こそが最高の権威なのである。われわれは古い音楽そのものを当時の姿で見、それゆえにその作品を忠実に表現するように勤めなければならない。それは博物館的な理由からではなく、それが今日、古い音楽を生き生きと、しかもその価値にふさわしいかたちで再現するための唯一の正しい道であると思われるからである。

(17)
知識は演奏へのひとつの重要な手段である。われわれは理解を深めることによって、音楽自身の「深い意味」を知ることができるのである。
この記事では「音による対話」の発展を中心に読んでみた。本書はもちろんそれに尽きるものではなく、広い知識と経験によって読み応えのあるものになっている。

モーツァルト:レクイエム
アーノンクール(ニコラウス) シェーファー(クリスティーネ) フィンク(ベルナルダ) シュトライト(クルト) フィンレイ(ジェラルド) アルノルト・シェーンベルク合唱団
BMG JAPAN (2007-11-07)
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以下のセットにも収録。
Classical Music: 25 Legendary

*1:モーツァルト以後、フランス革命が起こり、対話としての音楽は失われてゆく。以降の音楽は「平面的な音による絵画」と表現される

私の書かなかった本:ジョージ・スタイナー


書かれざる書物は空虚以上のものである。なし終えた仕事に、皮肉で悲しげな動き回る影のように付きまとうのだ。書かれざる書物とは生きられたであろう人生のひとつ、できたであろう旅のひとつなのだ。否定は決定因子になりうると哲学は教えてくれる。否定は可能性の否定以上のものである。欠如は、われわれが正確に予言したり、判断したりはできない結果をもたらす。重要だったかもしれないのは書かれざる書物なのだ。それはよりよく失敗することを可能にしたかもしれないからだ。あるいはそうでなかったかもしれない。

(著者覚書)

本書は七つの章からなっており、それぞれが書かなかった本についての語りである。それぞれの章には、一冊の書をものすことができたかもしれない着眼点と知識が書き留められている。本書はあらゆる告白に似ていて、しばしばどきりとさせる。私がとりわけ大きな衝撃を受けたのは、二番目の「妬みについて」だった。

この章ではまずチェッコ・ダスコリ(http://en.wikipedia.org/wiki/Cecco_d%27Ascoli)に焦点が当てられる。私が知らなかったこの人物は、「後世の科学を予兆させる科学的誠実さ」によってジョルダーノ・ブルーノおよびガリレオの先駆者とされているという。彼は異端として焚刑に処せられた。彼に帰せられる感情が収集される。いわく「チェッコの悪意にみちた模倣から伝わる、『神曲』に対する妬み」「トスカーナ語が言語と文学で覇権を握ったことに対する苛立ち」「言語と心理の両面に及ぶ不安」。
彼を忘却から守ってきたとされる、チェッコとダンテとの関係における妬みが説明される。「すでに生前からダスコリは、ダンテの卓越性とダンテの書いたものが享受した名声に対する嫉妬に心を傷つけられた人物、ダンテに軽蔑の念を抱く者とみなされた。」(63)
この妬みの根拠はどこにあるのだろうか。「アチェルヴァ」内の二連のスタンザはダンテへの罵りが明白である、という見解がある。ダンテとチェッコの宗教的相違に根拠を求める説もあるらしい。「今日の考慮に値する解釈学者の大多数は『アチェルヴァ』でダンテを攻撃する二連のスタンザは後世に捏造追加されたと考えて」おり、また「チェッコの詩に『神曲』の影響は明白で否定しようがない」にも関わらず、「欲深き妬み」の影はいつまでも消えない。

だから、妬みと尊敬は決して共存しえないものではなく、しばしば同時に感じられるものだろう。「フランス語のenvieには、英語のenvyとdesireの両義がある。われわれは自分の挫折をもたらした嫉妬の対象を称賛して尊敬する」(76)スタイナーは妬みの様々なヴァリエーションを展開する。「アマデウス」のサリエリシェイクスピアの同時代人の戯曲作家、ダンテの同時代の叙事詩人、イスカリオテのユダダヴィデとサウル、ホメロスのテルシーテースであるとはどういうことだろうか。
神話的原型であれば、人間は不死の、美しく、力を持つ神々を妬む。また「神の栄誉をたたえて考案された傑作がもっとも先鋭な挑戦を提示する」ことがある。その時、「神の正直な意見はどうなのか」。人間とその作品においても同じ嫉妬が働くかもしれない。
日常的な例ではこの嫉妬はもう少し実感しやすいものになるだろう。運やほんの僅かな差によって決定的に決定される序列、美しい人間と美しくない人間、決定的なチャンスを逃すことはその後の人生に癒えない傷として残り続けるだろう。師弟関係において誇りと嫉妬のダブル・バインドが見られる。弟子が進歩することは師匠の誉れであるが、同時に彼が用済みとなることである正真正銘の教員とは、自身より優れた学生を妬むことがないだろう、と語りつつ、スタイナーは自らの教師生活でえた四人の優れた生徒を振り返っている。

妬みの両義性は、大いにその防衛機制に関わっているように思われる。ひとつは追従であり、われわれは師匠の弟子であることを弁じ、偉大な天才の後光に預かろうとするだろう。*1もうひとつは、栄光を得たものを褒めちぎり、同時に自分自身を落伍者の列に並べる。自己矮小化する。

おそらくこれらの機制と関係して、自らの中に自らが凡庸であると自らの失敗のたびに、また他人の成功のたびに指摘する声が住み着くこともある。スタイナーはこれを最悪の事態、と表現している。これが「煉獄の苦しみ」となるのは自らが二列目のエリートであることを自覚しているときであるといわれる。その例がチェッコ・ダスコリとダンテである。二流の人間は、「凡人が最後に退避できる唯一の聖域」、正直さに従い、一流の作品の認知のために苦闘する。しかし彼を書いてくれる人はいるのだろうか。

最後に、ダスコリとスタイナー、二人の人生が振り返られる。ダスコリにとって自らの焚刑は自らとその作品が永久に焼失することだった。彼は最後までダンテを妬む同時代人に留まったという認識を得るだろう、と想像される。たしかに、われわれがその苦悶を真に知ることは不可能だろう。しかスタイナーの筆致は、この恐ろしさを十分に想像させる。そして、スタイナーはこう語る。それはどのような雄弁よりも多くを伝えるだろう。

私はチェッコ・ダスコリ研究を書かなかった。それはそれで面白いものになったかもしれない。けれどそれは私にはあまりに切実すぎたのである。

(84)

*

以下は、その他に印象に残った章について短く書き留めておきます。

「中国趣味について」では、ジョゼフ・ニーダムとその方法を検討しつつ、「中国の科学と文明」を「失われた時を求めて」と比較し「忘却による歪曲や不正義から過去を生き返らせる」「内部が相互に参照し合って結び合う時間の叙事詩」と評し、ニーダムがとらわれていた問い、なぜ「中国の科学が黎明期にはまばゆく輝いたのに、そのうち活動停止状態に陥り、やがていわば「不可抗力」によって、西洋起源のモデルと実践に取り込まれたのかのような印象」(27)を与えるという「不可解な不連続」が起きたのかへの探求(ユートピア的な試み)として解釈している。
また、「ユダヤ人について」は、安易な要約を許さない、問題意識と自意識に関わる多面的な告白といえる。これほど発散した内容を単一の叙述にとりまとめるビジョンは、たしかに想像もつかないほどの困難を感じさせる。

また訳者解説は、各章の内容をスタイナーが今までに書いた本を要約することで照射したものになっていて、理解を助けるものとなっています。

*1:「われわれは何かしら謙虚で、当然ながら寄生者的な装いを凝らして、自分が師匠の栄進と功績に貢献したこと、関与したことにする。」(76)恥を忍んで告白してしまえば、ただこれだけがこのブログの目的ではないだろうか。私はただ、自らの落伍を表現しているのに過ぎないのではないだろうか。

哲学者は何を考えているのか:ジュリアン バジーニ , ジェレミー スタンルーム

本書は本職の哲学者や他分野の思索家ら22名へのインタビューをまとめたものです。各章には15〜20ページ程しか割かれないにもかかわらず、それぞれ密度の濃いものとなっています。
本書では多くのインタビュー本の体裁とはことなり、各人の伝記的記録、哲学の要略、インタビュアーがインタビューにあたる態度、そしてインタビュー後に加えられた補足説明が再編集されて各章を為しています。そのため、入門書以前の導入として、役に立つと思われます。

また、各人の立場は、もともとそれぞれ鮮明ではあるのですが、インタビューという手法をとったことでより先鋭に浮き出てくる思想も確認できます。例えば、アメリカの哲学者ジョン・サールへのインタビュー読んでみます。彼は外在的実在論の擁護者ですが、実在を「背景的前提」として信念に先立つものとして置き、それなしには対話は成立しない、と論じます。つまり、

『われわれの通常の対話が、それが正常に機能しているとわれわれが見なすような仕方で実際に機能していると仮定せよ。さすれば、外在的実在論が正しくなければならないという帰結が導かれる』

(308)
という、対話の条件を考慮した超越論的論証です。
ここで疑問なのは、サール本人は「(実在論に)対するありとあらゆる反論に、どう対処したらいいのか、(…)私のやり方は、逆に、それらに攻撃を加えることです」つまり、批判に対する再反論で、反実在論の中に実在が背景的前提として存在することを指摘することによって実在論を論証する、としています。
この後、インタビュアーのバジーニから外在的実在論への反論として遠近法主義が提出されます。遠近法主義とは実在についてはある視点からしか語りえないというものですが、それについてサールは「あらゆる知識は、ある特定の視点から見たものであるという自明の事実から、それゆえ、ただ存在するのは視点のとり方のみであるという結論を導くという、明白な過ちを犯していると思います。それは誤謬推理です」(309)と語り、続いてこの誤謬推理の源流は認識論の伝統にあると語ります。それはデカルト的な問題設定であり、つまり方法的懐疑から得られる懐疑に応答することが哲学の主要目的であるという設定、そこから脱却しなければならない、ということです。
それによって、懐疑論が提出されたとき、それに対する態度は「それは興味深いパラドクスだ。ぜひそれを解いてみよう」というもので、「いったんそれについて十分に心を悩ませたなら、あとは私たちはそこから降り」るべきだと言われます。しかし私にはこれは懐疑論への正しい批判になっているとは思えないのです。

少し細かく読みすぎましたが、他にもこの章にはサールの実在の社会的構築の理論や、総合的理論への試みなどが語られており、大づかみに言えば「何のために哲学をするのか」さえ伺うことができるかと思います。また、日本ではあまり名を聞かれない学者等も多く、彼らの思想も俯瞰できるでしょう。本書の思想家は他分野にわたるので、原著者らや、訳者の苦労も思われるところですが、読みやすい訳文となっており、すらすらと読むことができました。

君は今夢を見ていないとどうして言えるのか:バリー・ストラウド

本書では、「われわれを取り巻く物理的世界について、われわれは何も知ることができない」という懐疑論的テーゼが検討される。この外界の知識への信頼が一挙に揺らぐこととなるテーゼと、その哲学的反対論の検討を通じ、われわれの持つ哲学的知識理論はどのようなものか、を明らかにするというのが本書の試みだといえるだろう。

一章では、デカルト懐疑論的テーゼが紹介され、その論理構造が詳しく見られる。「省察」の第一章で、デカルトは暖炉のそばに腰掛けて紙を一枚手にしており、世界について何事かを知るのに最良の状態にある。このような理想的な状態で得られた知識を疑うべき理由があるのならば、それは同様に感覚によって知られる世界についての知識全体を疑う裏づけになるのである。
デカルトはたとえこの状態でさえ、われわれは夢を見ているという可能性を排除することはできないのだ、と続ける。夢を見ていればわれわれは外界に対する正しい知識を持つことはない。つまり、夢を見ていないと知っているということが、われわれが外界に対する知識を持つのに必要な条件なのである。
このデカルトの論について、ストラウドは懐疑論の反駁につながるかもしれない、三つの問いを表明している。すなわち、
1.デカルトは夢を見ているかもしれないという可能性は、自らを取り巻く世界について彼が持っている知識に対し、本当に脅威となるのか。
2.自らを取り巻く世界について何かを知っているためには、自らが夢を見ていないと知らなければならない、というデカルトの考えは正しいのか。
3.自分は夢を見ていないということは決して知りえない、ということをデカルトは「見出した」とされるが、それは正しいのか。
(34)
長い考察の後注目されるのはこの二番目の問いである。つまり夢を見ていないと知ることは知識の必要条件なのだろうか、という問い。勝手に言い換えてよければ、夢を見ていないと知ることが、あらゆる知識を得るために、排除されるべき対立仮説なのか、という問いだろう。この問いが二章以降で詳しく見ていかれることになる。

以降、二章ではオースティン、三章ではG.E.ムーア、四章ではカント、五章ではカルナップ、そして六章ではクワインの論理がそれぞれ60〜80ページほどを費やして検討されてゆく。それぞれの詳細に立ち入ることはできないが、本書で行われる考察がどのようなものかを確認するために、たとえば四章を見てみよう。

他の章と同じく、まずカントの理論が詳しく説明される。カントは、懐疑論に陥る知識理論は、外界の事物を知るときに、推論を介して間接的に知ると述べるものだという。その反対に、カントにおいては「推論される必要がなく、直接に知覚される実在性」が必要とされる。カントの理論に従えば、われわれが世界を知るために立っている場所は、デカルトのそれ*1とは違い、次のようなものになる。

私が外的な対象の実在性に関して推論を必要としないのは、私の内観の対象の実在性に関して推論を必要としないのとまったく同様である。(A371)

(218)
続いて、カントの前提していること、彼の論の帰結についてやや詳しくみられる。
日常的な信念に正当性を与えるのがカントの狙いである。外的な事物の存在証明と、その存在証明によって存在を証明することが一般に可能であることが証明されなければならないのである。(227)そのため、カントの知識理論への要求として以下のテーゼが提出される。

われわれを取り巻く世界との関係でわれわれが日常的に立っている場所が「正当に取得され所有されたもの」であることを示すためには、カントが念頭においている実在論が立証されなければならない

(231)
続いてこの立証に必要な、二つの問いが問われる。

第一に、カントが立証したいと考えている実在論のテーゼとは、正確に言うと実際のところどういうテーゼなのだろうか。すなわち、(…)カントが立証したいと考えている実在論のテーゼは、そもそもどのようにして表現すべきであるのだろうか。
第二に、カントはこうした実在論のテーゼを、実際にはどのようにして立証しようとしているのだろうか。

(231〜232)
まず、カントが懐疑論に対して為した反駁の詳細が見られる。カントは、「懐疑論的論法は、その論法自身が一貫していることを承認しうる前提から到達するところの結論を決して手にすることができない」(234)ということを証明したい。つまり、懐疑論は必ず失敗することを証明したいのだが、これはデカルトの説に相対させることで次のように変わる。デカルトの考えでは、事物の表象や現れは外的な実在に対して「認識論的なプライオリティ」を持っており、つまりわれわれは「直接に自覚される実在性」にしたがって事物を認識しているのではなく、感覚による経験に基づくことによって知られるに過ぎない、また外界がなくとも経験がありうる、ということが帰結する。反対に、カントはこの認識論的なプライオリティを否定するだろう。このことは次のテーゼを立証することによってなされる。

われわれは外的な事物に関して単に想像するだけでなく、経験もしている。そしてこのことは、われわれの内的経験、すなわちデカルトがもはや疑い得ないとした経験すら、外的経験を前提してのみ可能であるということを証明しうるときにのみ、成就せられうるわけである。(B275)

(241)
ここでストラウドは、これは個々の経験についてその正しさを証明するものではない、と指摘する。「感覚による経験に外的な実在が対応していることを常に立証しなければならないとしたら、うまくいくことは決してありえないとカントは考えているのである」。
そうではなく、「内的経験一般」が可能である条件は「外的経験一般」(外的な事物を直接近くすること)が可能であることである、ということが立証されたとすると、錯覚の可能性や構想力のきままな活動(夢など)によって、「懐疑論がもたらす完全に一般性を持った脅威」が生み出されることはありえない、というものである。つまり、個々の懐疑は避けられないが、デカルトが行ったような「感覚による知覚のあらゆる場面に拡張すること」は避けられる、不可能とされるのである。(以上246〜247)
それでは、カントはいかにしてこの場所にたどり着くのか。観念論によってだが、彼の観念論は他のそれと違い「超越論的観念論」と呼ばれる。彼の観念論は実在論、つまり経験的実在論を保障するために必要とされる。この超越論的観念論が前提されないとき、知識理論は不可能になる。そして、この超越論的観念論は、デカルト(とムーア)の、経験的なレベルでの実在論と観念論の対立を解決するものである。(261〜266)
ここまできて(50ページ以上!)、ストラウドはようやくカントの観念論の批判的考察に移る。いくつかの困難が提出される。第一のものは、我々がカントの仕方で反懐疑論を理解できるとしても、それは超越論的観念論がどのようなものであるか、理解できる場合に限られるということである。また、循環が見られる。つまり、カントが行った特別でアプリオリな吟味の理解にしたがってのみ、超越論的という彼の概念が理解可能なものになるのだが、このアプリオリな吟味が可能であるためには、超越論的観念論が真であることが要求されているのである。(268)さらに具体的には、彼が「直接知覚する」「われわれから独立した」という用語を超越論的に使用する場合、この用語はあらゆる感覚経験から引き離されたところで使用されており、我々には理解不能に思える、という問題もある。

また第二の問いとして、彼がいわゆる超越論的実在論ではなく、超越論的観念論を選択するのはなぜか、というものがある。この理由としてカントは「超越論的な説はわれわれが知識をもつことはどのようにして可能かを説明しない」という批判をもって答える。ストラウドは、これがカントの拒否の唯一の原因だという。カントは「超越論的感性論」「第四誤謬推理」「観念論に対する論駁」において、知識の説明を可能にするから、という理由で超越論的観念論に到達しているのである。(276)
しかし、ストラウドがいうように、これは実際次のような二者択一を迫るものでしかありえない。

このことは、「超越論的観念論をとるか、さもなくば、説明がまったく存在しないのに我慢するか」と述べることと同じであるように見える。

(277)
つまり、カントは懐疑論的な問いをずらしただけのように思われるのである。さらに、カントは日常的な知識の客観性を証明したわけでもない。(外的経験一般ではない)個別の外的経験は、悟性の気ままや錯覚によって欺かれることがありうるのだった。このようにして、我々はカントの知識理論がそれ自身満足のいくものではない事を確認するのである。


ざっと見てきたように、非常に込み入った、深入りした検討が為されている。この著作の中心をなすのは、実に緒論の意義を確認する作業である。この長さを読み通すのは決して簡単ではないだろうし、全体の理解をしっかりとこなすのは尚大変だろう。今回はそのわずかながらの紹介を試みた。本書を通じても、この問いは未だ解決されておらず、更なる吟味を通じてのみ達成されるものである。それでも、哲学者それぞれの論に即した「解明」を通じて、我々が得ることができるものは多いだろう。

*1:「われわれのたっている場所は、当初思ったよりも限定的で、貧困なものとなる。われわれにとっての限度は、せいぜい、われわれを取り巻くものごとの「観念」とデカルトが呼ぶものの範囲までである。つまり、ものごとや自体についての表象の範囲までということである。そして、われわれが何を知ることができようとも、表象に対応するものが実在の側にあるのかどうかはわからない」63ページ。また、詳しくは61〜73

理性はどうしたって綱渡りです:ロバート・フォグリン

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本書では理性に内在する問題、つまり「理性を働かせることそれ自体の危うさ」といわれる三つの危機、すなわち絶対主義の幻想、相対主義の幻想、懐疑論が解説され、その解決策が考えられます。記事の以下では、本書の内容を概観してみます。


第一章では「無矛盾律」が検討されます。無矛盾律はそれを肯定することによって世界の変化を否定し「世界に究極の制約を課す」ものでなく、むしろ前提として「論証の基礎」となるということがアリストテレスウィトゲンシュタイン*1を参照し確認され、無矛盾律を肯定するか否定するかという態度を世界のありかたに結びつける考えが批判されます。また、無矛盾律の肯定においては、消極的論証が可能だといわれます。


二章では、無矛盾ではないことがわかっている体系、ジレンマの可能性がある体系をを使い続けること、がときに正当であることが主張されます。言語のよく知られているジレンマ、嘘つきのパラドックスも実質的に解決が難しいことが確認された上で、けれどもわれわれはそれを知り「危ない道を避ける」ことができるので、ジレンマの可能性をかかえた言語を使いつづけることはできる、つまり正当である、といわれます。
続いて道徳、法、規範の問題が取り上げられ、道徳体系相互間にもジレンマがあるということ(帰結論と義務論)が確認されます。その上で、このジレンマのなかでわれわれがある程度うまくやっていけているのは、(ゲームのプレイヤーはゲームに勝つことを目指す(=悪い手は避ける)というような)ある制約に基づいているから、ということが示唆されます。


三章。カントを参照し、知性が確実性という知識を追い求め、「経験的な制約」から概念を解き放ったとき、理性が「弁証的」になり、つまり空虚な駄弁に陥る、といわれます。これは幻想のような性質をもち、それが幻想とわかった後でもそのみかけは存続します。この幻想には二つの極があり、それぞれ「絶対的で無条件な存在を必然的なものとして」認めようとする極と、その根拠自体が相対的なものであると感じ出す極です。この往復運動が「弁証的幻想」といわれます。これを著者は思考の規則に本質的なものと考えており、思考する限りさけられない傾向としたうえで、その解決策として「非概念的なもので概念的なものに制約を加える」ことをあげます。

四章では、懐疑論のなりたちが説明されます。われわれが何かを知っている、というときには「関連する*2すべての対立仮説」が排除されていることが求められる、としたうえで、その関連の圏域が「吟味のレベル」として定義されます。三つの懐疑論(ヒューム的、デカルト主義的、ピュロン主義的)が詳細にみられた後で、これらの懐疑論が認識論に関わる際に遭遇する、それも容易に解決できない難問だとされ、認識論の企てが検討されることになります。
日常的に信念が正当化される場合、ありうる対立仮説が検討され、排除されることによるのですが、その際ある種の日常的な「吟味のレベル」が選択されています。また、それに疑問を抱かせるような事実が発見された場合は、必要に応じてその圏域を広げ、より深く吟味するわけです。しかし認識論の企てにおいては、経験的事実を考慮せず、「頭で考えることを通して」吟味のレベルをあげてゆき、懐疑論という難問に直面してしまう、という指摘がなされます。

五章ではその懐疑論の解決策が思案されます。ヒューム・ウィトゲンシュタインなどの著作から、観念を自然に従って定義する、つまり、非概念的なものに制約された概念の重要性が再確認されます。本書の主張は上に加え、三章でカントの引用「知覚なき概念は空虚である」を「経験によって制約を受けなければ、知的破綻を産み出してしまう」と解釈したこと、また本章でヒュームを取り上げ、懐疑論は「私たちが周囲の世界との因果的な関係に入ることによって乗り越えられる」(ここは端的な引用だと誤解を招きかねないので注意。詳しくは172ページ)と語られたこと、そして科学の成功が分析されることなどによって、おおまかな像を得ることが可能に思われます。

六章では美学が検討されます。ヒュームをもとに「人間の知覚や感覚」の一様性を基盤とし、それに経験による比較を加えることにより、美学の基準を定立する、と要約できるように思われます。本章は前章で言われた「非概念的なものの制約」を美術の鑑賞の経験として応用したもの、といえると思います。

七章「結語」は飛ばし、私見を述べて、この記事をまとめることにします。本書は理性のみに偏った思索が本質的に懐疑論や諸々の幻想に至ることを論証していて、その解決策として概念的なものの非概念的なものによる制約がいわれるのですが、私にとって新鮮だったのは、理性は本質的に懐疑論に向かう、と考えられていることでした。また、題の「綱渡り(Walking the Tightrope)」とは、懐疑論に陥るか陥らないかの綱渡りではなく、懐疑論を避け世界の中に思考を制約したうえで、思考を「誤りうる活動であり、賭け」として捕らえたうえで言われているものでしょう。本書は用語の基礎から解説されていますので若干冗長ですが、プラグマティズムの入門として、哲学書を読むならお勧めできると思います。

*1:「論理抵抗は何かの代理〔何かを写し取った記号〕ではない」…(無矛盾律は)「世界に対してはいっさい制約を課さない」(40-48)

*2:関連性の強い。「可能なすべて」ではない