近代日本の陽明学:小島毅

近代日本の陽明学 (講談社選書メチエ)
小島 毅
講談社
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本書では日本近代において、陽明学がと水戸学どのような場面に関わっていたかが述べられている。また、本書は両学についてのある程度の知識を要請しているので、陽明学については以前書いたエントリ(または本)を参照してもらうことにして、残った水戸学について素描をしておこう。(実は僕自身も、本書を読むまでは記憶が混乱していて、慌てて「日本思想大系」水戸学の解説を読んで、理解したところ。付け焼刃)

水戸学とは江戸時代、水戸藩で「大日本史」の編纂を中心に発達した学派。二代光圀の当時は朱子学を基調にしていた、この時代を前期水戸学とも呼び、1657-1715、水戸光圀史書編纂の開始から正徳本「大日本史」本紀七十三巻列伝百七十巻の脱稿まで、または1720年の正徳本「大日本史」を幕府に献上した辺りまでを指している。
その後、1786年に立原翠軒が彰考館総裁となった辺りから1871年廃藩置県による水戸藩の解体までが後期と呼ばれ、この頃に「名分論」「国体論」「尊皇攘夷論」など水戸学の独自性を為す概念群が生まれた。この思想は会沢正志斎(「新論」の著者、「新論」は大きな影響力をもった)から吉田松陰を通じて松下村塾下の幕末の維新志士に伝わり、明治維新イデオロギーとなった。
以上、「倫理用語集」と「日本思想大系・水戸学」を参考に歴史的な外延を位置づけてみたが、この思想は明治期に陽明学に吸収されるという。その具体的な過程は本書を読んでもらうことにする。最後に「国体」について参考にあげておく。

後期における編纂事業は、対象が制度史的な部門に移ったことにふさわしく、日本社会に固有の構造ないし伝統といった、民族的個性あるいは特殊性の側面のほうに、主要な関心が志向されることになる。(…)
(皇室が古代から一貫して存在し続けたことなど)それを中心とする国家組織や社会制度又国民道徳のすべてにわたって、日本固有の特色のあることと、他民族に対するその優越性とが説かれる。この固有の伝統についての自覚を表現した概念が、すなわち「国体」であった。

(p.564)
これは解説の尾藤氏によれば、社会を維持する上でよりどころとされるものが、個人の道徳から制度へと江戸期を通じて転換してゆく過程だという。この後期水戸学的な社会観は、朱子学にも陽明学にもみられない。ではどこから由来したのかといえば、徂徠学とその流れを汲む国学であるという。
もともと王陽明の学は歴史的ではなかった。「陸象山と王陽明」の終わりちかくに、陽明の思想は歴史を志向していなかったことがはっきりと述べられている。しかし、明治期の陽明学の流れは、それが学として動くのならば仕方ないのかもしれないが、水戸学の思想と融合してゆく。少なくとも本書ではそう書かれている。本書を読む限り、その原因は陽明学の思想自体に内在する特徴(明治以降、その領域は精神に焦点化されてゆくことになる)だったり、また学派としての弾圧を避ける為の政治だったようにも思われる。それを短くまとめることは思うに不可能なので、本屋などで確認していただければさいわい。


最後に私見を述べる。政治思想としての陽明学はある種の危険を持つことを、本書は警告しようとしているのだろう。陽明学に内在する、批判をどう受け止めるかに対する部分、結局陽明学は「自分を信じる」事に根拠を与えているだけではないか、という疑念もあって、前回の記事ではその事を上手く書ききれなかったので、そのあとに本書を読んでみたのだった。
行動の善悪において、陽明が与えた正当化をカントの当為のようなものと昔は合点していたが、最近再び考えてみるとカントが当為を普遍化したさい、根拠となったのは、状況に依存しない定言名法なので、実の所これは論理のような構造、アプリオリに属している。陽明の場合は逆に、状況に即したその都度の判断が重視される。そしてある種の失敗の改善が問題になるのだから、批判の契機は文字通り瞬間瞬間に存在していることになるのではないか。つまり、カントとはまったく異なるわけだが、無条件に正当性を与えているわけではなく、一瞬一瞬の反省こそが重要となる。今ではそのように僕は思うのだが、どうだろうか。
陽明学において「正しさ」は、どこまで付与されるのだろうか。非常に広い正当化を与えるともいえるし、状況に応じるともいえるだろう。ともあれわれわれは、常に正しさを問いに付してゆかなければならないだろう。しかし陽明学の反省は充分に批判的なのだろうか。それは結局ある枠内に留まるのではないか。おそらくこの枠は、われわれがデリダレヴィナスを読んで知っているものでもあるだろう。その彼方を陽明学は思考できるのだろうか。この問いは非常に答えづらい。




本記事を書くにあたっておおいに参考にさせていただいたのが「日本思想大系・水戸学」。マーケットプレイスですが、挙げておきます。

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