シンボルの修辞学:エドガー・ヴィント

シンボルの修辞学 (晶文社・図像と思考の森)
エトガー ヴィント
晶文社
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本記事では主に二つの章を読んでいく。それによって、本書における芸術の社会的側面と、現代の芸術を簡単に把握することを目的とする。これは極めて不完全なものにとどまる。また事実誤認があれば、それはすべて私の責任である。

一章

プラトンは、人間の精神が本来的に対立する諸力によって緊張状態におかれていると考えていた。ここで芸術は一種の魔術であり、精神の統一を促進する場合もあれば、危険にさらす場合にある。そのため、それは精神の統一を促進するために利用されなければならない、とプラトンは考え、芸術は国家の監視下におかれ、各々の芸術分野はおのれの秩序がもつ権利を切り詰め、互いに調和し統合しあわなければならない、とする。これをプラトンは「幸福」と呼ぶのである。
プラトンにおいては、恐怖や苦痛と同じように、快楽や娯楽についても、それらに対して武装する、「無制限の享楽の落とし穴をよく知る、つまり「神的な恐怖」を身につける」ことが必要であり、その恐怖による警戒態勢のうちでこそ魂は自らの限界を知るのであり、国家が芸術を自らの監視下におくのは、芸術が快楽と苦痛を成型し、また、芸術は秩序を与える知性とはかけ離れた要素に訴えかけ、人間を堕落させるからである。
以後一章で見られるのは、レッシング、カント、シラーにみられるような、プラトン的幸福がもはや目指されていなかったり各々の秩序の対立関係に独自の価値が見出されるような信念の変化が、このプラトンの芸術観にいかなる変容を加えたかと、ゲーテ以降のロマン派が、芸術の仕事を象徴的転移とみなしたことで、しだいに芸術と現実とが、相互に無関係なものになっていった過程と、またワイルドがプラトンと同じく「芸術によって人間が変えられる」という事実を認識していて、それでいて神的な恐怖を招くことなく、向こう見ずな横暴さを招いたこと、などなどである。ヴィントは最後に、芸術と社会の進化において、近年(1932初出)それらの活動が再び近付いている、と指摘している。彼の結論は、プラトンの教育の意図であった「人間の本性に対するわれわれの洞察によって定められた限界」を見つけ「人間性の概念に到達する」ためにはどうすればいいのか、という問題提起である。

十一章

本章では、近代の宗教美術が研究され、その形式がみられている。ヘーゲルの告発、「宗教はもはや生活の核心を締めはしない、科学と国家が」その機能を引き継いだため、それ以後の宗教画は「何の役にも立たない。われわれがその前で跪くことはもはやない」という批判から逃れたように見える二人の画家、マティスとルオーが本章の主題になる。その他にももちろん、多様な宗教画の形態が考察されている。例えばゴーギャンは《黄色いキリスト》でゴーギャンの神ではなく農民の神を書いており、ゴーギャンは自らを観察者という役割にしていて、それは感情が表立って現れない、宗教衰退の兆候の一つであることや、サザランド、ピカソ、ホセ・オロスコ、カール・シュミット=ロットルフの作品については「祈りのためには明らかに力不足なことが、あからさまで執拗な罵りに身を任せることで」ごまかす傾向として例示されたりしている。
そういった状況にあってともに信心のための芸術を生み出したのがルオーとマティスであるといわれる。マティスは「信心の情感を表現できる、雄弁で一貫性のある抽象」を頼みにし、ルオーは聖顔の具体性を際立たせ、「絶対的な物」を特殊なものの中に映し出し、しかもそれを超えていく(279)ということを確信を持って象徴した、といわれる。
本章はルオーが地上的なキリストを称えたことへの言及で閉じられる。

終わりに

ヴィントは美術史家という枠に収まらない、広範な思想を展開した。私がこの記事で読もうとしたのはそのうちほんのわずかにとどまっている。ヴィントの方法の詳細な解説は、冒頭の伝記と「解説にかえて」にある。伝記の記述には、1960年に行われた講演(「芸術とアナーキー」)の要約も含まれている。その講演では、われわれが観てきたことを含む芸術の現代の状況の分析がなされていて、ヒュー・ロイド=ジョーンズはその要約を書いてくれている。その部分を引用することにする。

いわゆる芸術と機械化の間に親近性が育ってきたのも、「純粋芸術」が提供するものが、大量に複製されるのにおあつらえ向きの単なるパターンでしかないからである。(・・・)ヴィントは明言している。自分は大衆教育の結果を嘆いているのではない。芸術が大量に配布されることに伴う問題は、それがあまりにも多くの人に提供されることではなく、それが間違って提供されることなのだ。

(62)
美的形式主義に抗して「芸術作品をその社会的、文化的、知的コンテクストに置くことにより、ヴィントは、われわれが、数世紀を越え、(・・・)馴染みのない言葉で語りかけてくる偉大な芸術家達の声を聴くことを、可能にしたのだ」。(67)われわれの美的見方に、ヴィントの著作は貢献し続けるだろう。そして、それはわれわれが芸術の力を何らかの形で認識することにも、役立ってくれると思われる。

コンセプチュアル・アート:トニー・ゴドフリー

コンセプチュアル・アート (岩波 世界の美術)
トニー ゴドフリー
岩波書店
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「本書では、現在も進行中のコンセプチュアル・アートの歴史について、明快で生き生きとした、かつ率直な紹介をしていくつもりであるが、それをもってなにごとかを決めつけることは私にはできないし、するつもりもない。つまるところ、なにを信じるかは読者にゆだねられている。

(16)
本書ではキュビズムの誕生をコンセプチュアル・アートにとって重要であった、とみなしている。理由は四つあり

(1)レディメイドの使用の先触れとして日常的なイメージや事物を導入した
(2)認識論つまり表象と、われわれがなにを知っているかをいかにして知るかという問題の探求に、公然と取り組んだ。
(3)見る人の期待の裏をかいた、あるいはそれを撹乱した。
(4)街中の生活とスタジオの密室的な生活の融合を目論んだ

(24)
といわれる。キュビストから決別し、1915年にニューヨークに移ったデュシャンは、レディメイドという思考を形成しゆき、1917年には有名な《泉》を発表する。1916年にはダダも起こっており、彼らは既存の芸術規範への怒りに満ちた否定を21年に終わるまで続けた。精神分析理論に大きく影響をうけたシュルレアリスムの展開を含めたこれらモダニズムの芸術がいかに伝統的な芸術に対峙したのかが一章で概観される。60年代になると、芸術家は別の種類の芸術を生み出したいと希求し始める。(87)フルクサスミニマリズムという二つの運動から派生した(100)六十年代後半のコンセプチュアル・アートは、アーティストの頭の中ではじまった概念が、その作品を見る人の頭の中で自己省察に結晶する「この相互作用」に物質が必要なのか、という問いかけ(112)によって、次第に脱物質化されゆき、身体や、言葉、または空間を用いるようになる。(4〜6章)また当時の政治に関わるような作品群(7,8章)、写真の導入、写真を通じて「意味の生成にあたって写真がいかに使われているのか」といった一連の問いを提出することによって「見る行為に対する自覚を」高めた一連の試み(九章)、八十年代以降(原著出版は1998年)のコンセプチュアル・アートの展開など、様々な立場の作品群が四百ページ以上にわたってみられる。それらの傾向の解説、時代的背景の説明などは果たしてくれるが、本書ではこの「未完の企図」(420)としてのコンセプチュアル・アートの総括は行われず、あくまで個々の作品に留まって解説がなされている。
われわれは、本書の叙述を通じて、いかにして個々の芸術家がそれぞれ異なった仕方でその思考を表現したか、を知ることができるだろうと思う。

シンボル形式の哲学:エルンスト・カッシーラー

シンボル形式とは何か

精神の主要な働きはそれに与えられる入力の客観化である。客観化作用の結果、シンボルが創造される。この概念はハインリヒ・ヘルツが用いたもので、シンボルは認識が創りだした自由な「虚像」であり、この直接の対応物が感性的所与にあるわけではなく、対応関係が無いがゆえにこの概念の集合は自己完結的なものである。
また、精神によってシンボルを用いて客観化されるものははじめは精神に即自的であるから、客観化は精神そのものの自己開示である。シンボルの形式には多様なものがある。芸術、言語、神話、科学、数学など。これらは存在の反映、写像なのではない。「むしろ独自の光源なのであり、見ることを条件付けるとともに、あらゆる形態化作用の根源をなしているのである」。(Ⅰ、56)カッシーラーは文化批判を通じて、カント的な理性批判を引き継ぐ。この批判が理解、立証しようとするのは、「文化の内容というものはすべて、それが単なる個別的内容以上のものであり、ある普遍的な形式原理に基礎を置いている限り、精神のある根源的な活動を前提にしている、ということである」(Ⅰ、31)。また、この批判において対象概念は次のような規定を受ける。「(意識は)固有な仕方で対象に関係することによっておのれの対象を「もつ」」。(Ⅰ、32)感覚的諸印象はまずカオスとして与えられる。精神はおのれの自由な活動によって、この流動的印象に「形成をくわえつつ対峙」する。これが記号付与であり、それを遂行することで精神はその印象に「形式と持続性」を与える。(Ⅰ、82)そのため、記号は現実の模写ではなく、おのれが精神の能動的な活動によって構成されたその時点ですでに事物そのものからは離れている。記号の発達は直接的な内容規定の後退に従って普遍的な形式契機と関係契機が前景化してくることによってなされる。記号は素材からその精神的形式に移行するための媒介を果たす。この媒介作用こそが記号の意味であり、そのため記号論とシンボル論が足場となって、厳密で精密な思考が実現される。(Ⅰ、42)

批判的分析は何を目指すか

哲学は形式相互間の純粋に内在的な関係(Ⅰ、36)を見通すことのできる立場を見出さんとする。デカルトヘーゲルにおいては、精神的存在と精神的出来事を、ある特権的な次元に関連付けることで還元することが目指されている。この体系学的方法と、デカルトが批判したような経験的な方法(「事物の総体を通覧し、そこから自然の究極の秘密に分け入ろうとした」(Ⅰ、37))の双方をカッシーラーは退けている。体系学的方法においては特殊性が失われるし、経験的方法においては普遍性への道を見つけられないだろうからである。そこで、次のようにいわれることになる。

(こうしたジレンマを抜けだしうるとすれば、)精神のそれぞれの基本形式のうちに認められるものであっても、そのいずれにおいても全く同じ形で再現してくることのないようなある契機を明示し、把捉することに成功することであろう。

(Ⅰ、40)
この考察においては単一性は断念される。つまり原初としての一も綜合としての一も要求されない。「これが提示しているのは、はじめから単一性を断念しているような統一の問題である」(Ⅰ、60)ではこの継起には具体的にどんなものがあるのだろうか。

継起

カッシーラーはまず、形式における質と様相の区別という契機を考えている。質というのは、ある関係はその部分を特殊な方法で関係付ける(系列化する)のであるが、その「結合の仕方」である。この質はコンテクストに依存していて、別の文脈に置かれることで意味を変ずる場合がある。例えば「継起」的に結合された諸要素、という関係のもつ意味(質)は、それが音楽という文脈に置かれるか、科学的世界観のもとに置かれるかによっては、全く異なる。しかしこの文脈の差異によっても変ぜられずに残る「一般的・抽象的な質」が存在する。この差異をもたらす文脈が特定の「様相」(自然科学的様相・芸術的様相・論理幾何学的様相・・・)である(Ⅰ、61参照)。そして、ある特定の質が認識されるためには、すでになんらかの様相が機能していなければならない。「意識においてはいかなる内容の定立も、まさに定立するというこの単純な働きによって他の内容の複合体全体をも共に定立することにならざるを得ないということが、意識の本質に属しているのである」。(Ⅰ、63)
この意識の根本傾向は、もちろん他の意識作用にも当てはまる。Representationにおいてのみ、Presentも可能になる。(Ⅰ、66)また空間形象の直感は、直接的な感性的知覚を一つの表象にまとめこむことと、この統一を個々の構成要素に分解する動きによってのみ可能である。これらにおいて基盤となる契機とは、「全体をすでに要素のうちに捉え、要素を全体のうちに捉えるという一般的な可能性」である。個別的なものはそれぞれがすでにはじめから、ある特定の複合体に属している。個別的なものは各々がそれが属する複合体の規則を表現し、この規則の全体が時間、空間、対象的結合、といった意識の統一を構成する。同時に、個別的なものが複合体に属することが可能なのは、「意識の綜合においては、(・・・)全体こそが部分を構成し、各部分にその本質的な意味を与える」からでもある。この相互制約によって、意識はおのれの統一を構成する。部分と全体におけるこの関係をカッシーラー微分積分の関係に類比している。
この立場から見られた場合、哲学的問題に新たな照明を当てることが可能である、とカッシーラーは語っている。つまり、生の真理はどのように捉えられるか、という問いである。生Lebenの問題は存在概念への問いに代わって登場してきた。それは独断論存在論における主観性と客観性の対立を緩和させたかにみえたのだが、かえってもうひとつの問題を提示した。生の直接性はその記述に逆らい、概念的分割を許さないようなのである。これは哲学的思惟に二つの立場での選択を要求する。ひとつは精神の実質を形態化に先行する純粋な根源性にもとめるものであり、もうひとつはその多様性に要求するものである。(Ⅰ、92)明らかにこの両者ともに利点と欠点がある。この生への問いを変換することを、カッシーラーは提案する。それは、精神の創造物を「その根本的な形成原理から理解し意識化する」ことであり、この意識によってはじめて生が所与という存在領域を超えいでて、「「精神」の形式へと転化し完成される」(Ⅰ、95)。われわれは精神によって算出されたものをその個別性によって認識することによって、その統一性を確証するのである。

固有の尺度

ある精神的形式の独自性を確実に規定するためには、何よりもその形式をそれに固有の尺度で図ることが必要である。(・・・)その形式を形成する働きそのものの独自の基本的法則性から引き出されなければならない。(・・・)すべての新たな形式はそれぞれ新たな世界「構築」を示している。そしてこの世界「構築」は、特殊な、ただそれだけに妥当する基準によっておこなわれる。

(Ⅰ、209)
すぐ後で説明されるように、この立場においては、基本的前提をなすと考えられている諸区別を絶対的なものとして考えてはならないということが導かれる。つまり「主観」と「客観」、「自我」と「世界」といった対立は認識によって媒介されたものとして理解されるべきものである。このため、客観性とは、個々の感覚印象がある検証を受けることで対象に帰属されるものだといえるが、「この検証、この確認は、経験的思考及び経験知のどの段階でもけっして終わることはなく、いつもあらためて再開されるし、再開されねばならない」。(Ⅱ、79)また、表象の対象に対する指示作用は、その表象を「一つの包括的な体系的全体の連関に組み込み、それに一義的に明確な位置を割り当てるということ」しか意味しない。

言語

カッシーラーは言語において内的存在と外的存在がはっきりと区別されていないこと、心的な内容とその感覚的表現が相互浸透的で相互規定的であることを指摘し、特に後者の感覚的表現が内面的出来事を構成する、と強調している。つまり「まさしくその出来事の外への現れと一見思われるものが、その出来事そのものの形成ないし形態化の本質的な要素を為していることを示している」。「心理的な物の「現実性」はすべて過程と変化にあるのであって、状態へと固定されることは後から行われる抽象と分析の仕事なのだということ(…)」。(Ⅰ、212)
われわれはこの過程をどのように評価するべきか。「実際には、それぞれ形式の持つ意味は、それがなにを表現しているかにではなく、表現の仕方、その様相と内的法則性とにのみられうるのである」。形式とはそれ自体精神の自発的な客観化であり、法則化によって直接的な所与から離れてゆく。この「隔たりの増大のうちにこそ」形成作用の価値と独自性が現れてくる。この関係は逆説的であり、直接的な所与を離れることによって精神は己自身に還帰する。一巻ではそれが言語に即して理解される。つまり、言語という形式が「内的な自己解放を遂行してゆく過程」の三段階、模倣的表現、類比的表現、真のシンボル的表現。この移行の終点において、言語は自らの多義性を利用し、その機能を「表示する」から「意味する」にまで達する。また直感的表現においては、身体に結びついた表象から発生する空間概念から、時間概念、数概念、自我概念、人称概念が形成される。かくして形成された言語はついに概念的思考を、そして論理的思考を可能にする。カッシーラーはこの長い分析で見られたそれぞれの契機がその時間的な前後にかかわらず含み合っていること、「単純な感覚や知覚の機能が、概念的把握とか判断とか推論といった知的な基本的諸機能(・・・)を、それは潜在的に含んでいるのである」(Ⅰ、445)と結論する。
言語発達にあってこのように筋が通った、見通しのきく理論を組み立ててしまったことに僕はまず驚いたのだけど、本書はそういった範囲を超え神話、数学、科学的思考にそれぞれの契機を描き出していく。そしてそれらに通底しているのは、精神の自己開示がこういった諸々の象徴形式を作り上げることだろうと思われる。

神話

シェリングは、神話解釈において「寓意的」解釈をしりぞけて、神話の諸形象を「精神の自律的な形成体」とみなし、これらをそれ自体の、独特の意味付与、形態付与の原理から理解するという「自意的」解釈をかえた。(Ⅱ、26)この立場において、神話はまったく事実的な物となる。神話には独自な様式の実在性がそなわっており、それが哲学の問いになるのである。神話は生活の形式から生まれてくる。多神教は、「人間の意識が次々にその多神教のすべての契機のもとに実際に立ち止まってきたと考えることによってしか、説明されえないのである」。(Ⅱ、31)生活形式とは、主観的なものと客観的なものの境界にあるものであり、その無差別としての地点、と説明される。シェリングに従えば、相対的一神教から多神教を経て絶対的一神教に至る過程は、神の自己産出の、それ自体が真理であるところの過程である。神話の普遍的客観的な真理としてのこの過程にまでシェリングは到達するが、彼の自然哲学に関する叙述において、カッシーラーはこの絶対的単一性の概念そに潜む個別的差異の消失を見る。

神話が第二の「自然」ともいうべきものになりうるのは、あらかじめ自然そのものが一種の神話に変えられてしまっていたからなのであるが、これは、自然の純粋に経験的な意味と真理性とがその精神的な意味に、つまり絶対者の自己開示であるというその機能に止揚されるということによって果たされたのである。

(Ⅱ、37)
そこで、カッシーラーシェリングの問題を絶対者の哲学から批判哲学の地盤へと移し替える。批判哲学の方法とは所与から出発してその所与が可能になる条件を分析することだが、そうしてみられた神話的意識の形式が、いまや問われることになるのである。そしてそれは神話を、シンボル形式の全体系のうちに位置づけることでもある。他のシンボル体系と同じく神話もまた、所与からの精神の解放であり、象徴であるがゆえに自己完結した総体へと形成される。(Ⅱ、64)
二巻「神話的思考」の一〜三部では、それぞれ神話の思考形式、直感形式、生活形式が分析される。神話がそこから生まれてきた生活形式を解明するのが、この巻の目的である。この叙述は(前巻とは反対に)さかのぼってゆく叙述になる。(Ⅱ、150)それによって例えば、人間は自己意識を神話的思考のうちにおいて規定しうるようになること、人間は対象を扱う仕方(行為の構造)を対象自身から発見すること、それらの自覚化や発達に神話的思考が大きく関わっていること、などが明らかになる。こういった分析を経た第四章「神話的意識の弁証法」でまず確認されるのは、神話が精神の形成作用から生じる客観的な表象の「自己完結的な把握形式」(Ⅱ、437)であるということである。そして、宗教が歴史に即してみられるのだが、言語においてその発達が感性的なものから出発して徐々に抽象的なものに、所与を離れたものへと向かっていったように、宗教の歴史的展開(神話的意識の弁証法的進行?)は寓意における宗教特有の意味付与の度合いの変化として考えられるのである。(Ⅱ、474)

認識の現象学

「認識の現象学」では、「理論的世界像」の構成が分析される。分析の対象は極めて多岐にわたっており、この記事で全体を概観するのは不可能だろう。ただ大ざっぱには、本巻でもその膨大な分析は生は自己を把握可能なものにするために、自己を形式化する=他性を与えるのであり、われわれはこの形式化作用の構築過程を踏破することによってのみ、この形式化に働いている諸契機を生む根本法則を示すことができる、という考えに基づき、その解明に捧げられている、と言えると思う。カッシーラーは四巻で、そうした精神の成果である科学的思考と、数学的思考の形成を分析しているけれど、この記事ではそこには立ち入らない。われわれが理解しようとうするのは、カッシーラーは精神の客観化を一体何だと考えていたか、である。

主観性と客観性

三巻第一部第一章では、意識の解明の手段はいかなるものであるのか、が考えられる。意識の問題において、カントは主観的なる統覚の超越論的統一によって普遍的で必然的な諸法則の総体である自然の統一性を説明し、この両者の協力関係によって経験の対象の構築と構成をおこなう事を示した。しかしこの意識の問いの範囲が拡張され「世界了解」の諸形式に向けられるとき、この構成物は科学的世界観と同じような妥当性を主張できるわけではなくなる。フンボルトはその言語の分析において、言語の客観的な契機だけではなく、その主観的な、それを「捉える気分」の契機を強調し、「言語は単に相互理解のための交換手段であるだけではなく、精神がその能力の内的活動によって自己と諸対象の間に構築しなければならない一つの真正な世界なのだ」(Ⅲ、109)という構造をみとめた。この主観性は「まぎれもなく」それまでの主観性概念とは別種だという。どのように別種なのかといえば、それが言語の中に具体化される「具体的な」主観性だということだと思われる。この分析は、どのようになされるべきかを、カッシーラーはナトルプの心理学に依拠して説明する。その方法は、つまり今まで本書が行って来た方法、諸々の客観化をもたらす精神の批判的分析である。

表情現象

カッシーラーはあらゆる世界像の基礎として、それに形態化が加えられるものとして、「表情現象」の世界を考えている。(Ⅳ、318)この現象とは、例えば乳幼児が顔を認識するときの<好意的である>とか<好意的でない>といった現象のことであり、この世界を原初に据えることは、単純な感覚印象がたがいに結びつくことを原初におく考えとは全く対照的である。(Ⅲ、135)
この表情現象の基層から、カッシーラーは主観性の領域への通路を再構成しようとする。ここで導きの糸とされるのは言語的な動きでも概念的な認識でもなく、むしろ神話における、現象からの世界の形態化の様式である。(Ⅲ、140)この神話的形態化から徐々に、別の形態化が自己を分化していく。そうした流れをたどっていくことで、カッシーラーはわれわれのあらゆる認識や、あらゆる概念的思考の原初として表情現象があることを証明していく。ここで示唆しておいたほうがいいと思われるのが、理論的な世界像においては「表情のうちにひそんでいる諸契機の違いが起源の違いにまで高められる」(Ⅲ、192)である。結果的にアプリオリとなるアプリオリ、というのがあらゆる理論的思考の根底にあるのだが、その批判的分析は、理論相互間のパラドックスを脱パラドックス化するのである。

諸力

精神の形式化はどのような過程をたどるか、が邦訳第三巻の残りを占めている。以前にも言われていたとおり、われわれの認識はすでに特定の観点を前提としているが、この働きがより詳細に解説されることで、いわばシンボル形式の哲学における認識論が展開されている。
カントがいう「産出的構想力」に相当する根源的形成作用、「シンボル的理念化」は、感覚に追加されて感覚を判断や解釈に供するのではなく、むしろ直感を「全体としてはじめて「成り立たせる」」ものなのである。所与とは、すでにある特定の観点で受け取られており、こういった受け取られ方こそが「根源的な直感そのものの端的な意味」であり、つまり産出的構想力と関係しないような直感など存在しない。(Ⅲ、260)意識の与件は形態化された全体である。(Ⅲ、272)だからあらゆる現前はつねに表出=再現前化であり、その発展的な自己分節化が感覚的表象から表示機能を担うまでに至ることができるのである。(Ⅲ、269)

空間と時間

この観点から、空間と時間という形式の産出が説明される。これは言語における概念の形成としてすでに一度扱われたテーマが、再び検討される。まず空間についていえば、空間とは記号を通じて知られるような固有の対象でなく、「表示作用そのもののある固有の様式、表示作用そのもののある特殊な図式的要約」である。「経験的直感及び経験的な対象世界の「形式」」として考えられたこの空間の漸進的分節化が、われわれがもつ「物の永続性」を、ひいては概念的思考を可能にする。
時間概念の端緒においては、われわれが過去、記憶によって規定された現在を直感するというだけでは充分ではない。それはすでに時間概念を前提としているからだ。この立場からは、<想起>は過去の知覚の単なる再現ではなく、ある瞬間において新たな現象と新たな与件とを構成する行為であり、また予期は産出的構想力と歴史的意欲との相互促進によって、またこの意欲に対象を与えることで意欲を支える、シンボル的<表出>の様式の作用によって、構成される。(Ⅲ、346-352)

結語

科学において、経験は形式によってあらかじめ先取りされていたものを限定し、科学的思考を妥当なものにする。思考は図式を形成することで世界の総体を定位すると同時に方向づけることで先取りし、経験は実行可能性を与える、といってもいいかもしれない。邦訳最終巻でなされるのは、われわれの精神がいかにして概念的思考、つまり数学的、科学的思考にいたるかを示すことである。ともあれ、僕はカッシーラーが至った類例を見ない射程にとても感動したのだけども、その一端については、お読みになってくれたみなさんにも伝わったものと信じたい。(僕の力不足はさておいて)
「「個体発生的」発達の順序は「系統発生的」発達の所得室を忠実に守る」(Ⅲ、223)という本書のアプローチにおいて現れてきた法則は、どこかピアジェを思わせるところもあるし、本書がカントの批判的分析を引き継ぎながら、直感の形式の条件にまでたどり着き、神話から科学にまで至る思考の旅途を精神のそれぞれ異なる諸契機のうちにそれぞれ異なった仕方で表現される根本法則、という極めて困難な旅程を踏破したことは、それ自体大きな達成として評価されるだろう。本書が刊行されたのは、1923年から29年にかけてである。(Ⅳ、384)不完全性定理の発表を目前に控え、量子力学のめざましい進展や言語学の新潮流が台頭しはじめ、社会的には両世界大戦の間に、本書は書かれた。本書は、もちろん歴史的に制限されてはいるが、それを超えて未だ、われわれに教えるものが多いだろう。とても長い記事になったが、読んでくれたみなさんに感謝します。

象徴形式としての遠近法:エルウイン・パノフスキー

本書ではギリシャからルネサンスに至る、遠近法の発達が分析されている。遠近法について、本書はまず、デューラーの定義から出発する。それは、画面やレリーフがそのものではなく、投影面として、スクリーンとして捉えられている場合に、用いられる直感形式の表現である、というものである。この「中心遠近法」は、連続した、無限で等質的な、いわゆるユークリッド空間を形成することで成立しているが、そこで二つの前提が要請されるという。
その前提とは「われわれがただひとつの動くことのない目で見ているということ」「視覚のピラミッドの平らな切断面が、われわれの視像の正確な再現とみなされてよいということ」であるが、これらの前提はわれわれの事実的主観的な視像を、捨象するものだとパノフスキーは言う。何故ならば、知覚にとっての空間とは、無限でもなければ等質的でもないからである。「等質的空間とはけっして所与の空間ではなく、作図によって作り出された空間なのである」。(本書12p、また、カッシーラー「シンボル形式の哲学?「神話的思考」岩波文庫、173p」)
具体的には、精密遠近法による作図が行う変換は、次のような諸結果をともなう。生理的空間における諸価値を否定し、空間を等質化することで、空間の総体を「連続量」に還元する。実際のところわれわれの視野は二つの動く目によって構成されるため、球面状になるのだが、それを考慮しない。われわれの物理的眼球に描かれる機械的プロセスの結果としての「網膜像」と、それが心理的条件付により変容をうけた結果である「視像」との区別も考慮することができない。また、この網膜像の段階においてすでに、平らな切断面を仮構する精密遠近法の投影面が、網膜像における凹形に彎曲された投影面とは異なっている点、である。
このうち最後の点、つまり網膜像における彎曲は、近代において何度か発見されてきたことであるが、古代においては自明であった、と指摘される。そしてこの光学に基づいた理論は、物の大きさについて、次のような(近代とは異なった)前提を持っている。

<(眼窩上への投影としての)見かけの大きさは、対象の眼からの距離によって決まるのではなく、もっぱら視角の度合いによってきまってくる。(したがって、その割合は、厳密に考えるなら、角度ないし円弧によってのみ表されうるものであって、単なる長さの尺度では表されえない)>

(以上、19ページ)

この前提は、われわれの知る遠近法とは両立しえない。すると、古代においてはどのような遠近法が用いられてきたのか、と問われるわけだが、パノフスキーは古代においては投影図における、投影面の直線の代わりに円弧を用いて、次いでこの円弧を弦で近似していたのではないか、という。この方法で描かれた像では、奥行き方向の線を延長してゆくと、それらの点はある共通の軸上(消失軸)で出会う事になる。
(本書25p)
このようにして古代における遠近法がスケッチされた後、しかし、このような作図法の違いは、単に数学的な問題であって芸術的な問題ではないのではないか、とパノフスキーは自問する。ところで、ここでわれわれはこの小論の目的を知ることができる。
つまり「遠近法は、「精神的意味内容がそれによって具体的感性的記号に結び付けられ、この記号に内面的に同化されることになる」あの「象徴形式」の一つと呼ばれてもよい」(27)のであり、芸術上の時代や地域がいかなる遠近法を有するかが、「これらの時代や地域にとって本質的な重要性を」もつために、われわれは遠近法の歴史をたどることで、象徴形式の歴史的変遷を知ることができる。そして以下では、どのような路程を辿って、近代的遠近法が成立したか、が解説されることになる。

まずは古典古代、立体芸術においては、なんらかの仕方で擬人化された諸要素を構造的ないし彫塑的に群構造体に組み上げること、が芸術とみなされていた。次いでヘレニズムにおいて、「内側から動かされる物体の価値とならんで外側から見られる表面の魅力をも」が肯定されるようになり、個体を取り巻く「空間性」の表現価値が感じられるようになるが、いまだ空間は物体とその間隙とをその高次において統一する、等質化された体系空間になってはいない。「古代にはそうした包括的統一性が欠けているので、空間性に付け加えるすべてのプラスが、いわば物体性のマイナスによって購われなければならないのであり、したがって空間が事実上物を蚕食し、それによって身を養っているように思われる。」(30)この空間観の近代化を精密遠近法の成立にパノフスキーは見ているのである。空間を高さ、幅、奥行きのあいだの関係からなる総体と定義した(そして物体と非物体を延長体のもとに統合した)古代の空間理論はなく、「世界の全体はつねに、根本的に非連続なものにとどまっていた」。(32)

パノフスキーは中世の果たした美術史的役割を、古代において「多数の個物として描かれていたものをたがいに融け合わせて、現実的な統一へ」(37)もたらした点にみている。それは絵画における空間性の構成要素が平面化される過程である。ロマネスクにいたり、平面は空間性を暗示するのをやめ、単なる平面となる。「あらゆる空間的イリュージョンが決定的に放棄されてしまったかのように思われるのであるが」この変形は近代的空間が登場するための予備条件であるという。なぜなら、空間と物体とが同じ仕方で平面に還元されたのであれば、これ以降空間と物体とは等質性をもつことになるから。(43)

「建築と、殊に彫刻において強められた北方ゴシック的な空間感覚が、ビザンチン絵画のうちにただ断片的に保持されていた建築の形式や風景の形式をわがものにし、それらを相互に融合して新たな統一へもたらすところで」近代的遠近法はその端緒につく。(47)この遠近法はブルネッレスキとアルベルティによって方式化され、此処に至って空間が合理化される。これは同時代に起こった無限な経験的空間の発見の表現であり、カントが後に形式化することになる空間観でもあった。

主観的視覚印象が大幅に合理化されることによって、まさしくこの視覚印象こそが、確固たる基礎を持った、そしてまったく近代的な意味で「無限」である経験界を構築するための基盤となりえたのである。(…)それは精神生理学的空間を数学的空間へ移行させることであり、言い換えれば主観的なものの客観化なのであった。

(64)


本書の、遠近法の成立を「精神史」として解き明かす試みはとても刺激的だった。けれども私の基礎的な理解不足のために、分かりにくいだけならまだしも、間違いも多いかもしれない。記事にすることにしたのは、書くことを通じてしっかりと読んでおきたいと思ったからです。また本書は文庫で出版されているが、今回用いたのは2003年のペーパーバック版でした。

移動の時代:カレン・カプラン

原題:question of travel,postmodern discourses of displacement

1

本書では移動にまつわる表象が取り上げられる。「この本で私が問題にするのは、当然と受け取られていることの多いいくつかのカテゴリーである」。本拠と外地、定位と移動、定住と旅、居場所と居場所喪失。(20)これらの概念の分析を通じてカプランはモダンとポストモダンの批評の差異を脱構築し、その連続性と不連続性を表出させることを目指している。その過程で疑問符をつけられる概念は、「差異」や「ローカル」といったものである。こういった概念はどこに問題を含んでいるのだろうか、という点が明らかにされ、そのような問題を避ける主体性とはどのようなものなのかについての素描がなされる。大まかに言って、一章ではモダニズム、二章ではポストモダニズム、三章ではサイードとクリフォード、四章ではフェミニズムの思想家達が、それぞれ検討される。残念なことに本書の叙述はきわめて読みにくいのですが、私が理解した限りで、記事の形にしてみる。

2

まず亡命と観光旅行について、とくに差異がみられる。カプランは「亡命」がモダニズムの文脈で比喩的に用いられるとき、「政治的な実例や歴史的に特定される出来事から切り離されたかたちで機能している」(64)という。さらにこの表象は、近代、美学的な観点から重視されてきた「独自性、孤独、疎隔、疎外」という基準によく適合した。よってモダニズムの作家は亡命者として表象される。
この故国を喪失した亡命者という形象は、ノスタルジアと結びつく。レナート・ロサルドの研究から、幼児体験につながる通常のノスタルジアと区別される、「ある人間が誰かを殺しておきながら、その犠牲者への哀悼に沈んでいる」というような逆説、攻撃的衝動を含むノスタルジア、「帝国主義ノスタルジア」(74)が導入され、カプランはこの概念を先述のモダニティのノスタルジアと結びつける。近代人にとって「現実や真正さ」は「歴史上別の時代や別の文化のなかに、もっと純粋で単純な生活スタイルの中に」あると考えられるようになった。さらに、この形象は「近代の「まじめな」芸術家や作家に取っての通過儀礼」(78)とみなされ、比喩として敷衍され、やがて様式化される。(85)続いて、マルコム・カウリーの研究の成果とその限界が指摘される。つまり、カウリーが『亡命者の帰還』において、故国脱出者が観光旅行業の発展への寄与というかたちで「モダニティを作り上げ」た点と、彼らが世界を見ることでかえって世界の同質性を発見し(て帰還し)たという点を指摘したことは、「亡命の神話を掘り崩し」たとして評価する一方、彼がモダニティにまつわる二項的なモデル、過去と現在、本拠と外地、中心と周辺という区別を往復しているという限界が指摘されるのである。(100)
続いて、ツーリストの形象が検討される。「ツーリスト」という用語はマッキャネルによって「実際の観光客という意味の言葉から「モダンな人間一般」を意味するメタ社会学的用語にまで拡張」(115)されている。ツーリストとは「現実効果構築の執行人としての役割を自ら果たしていると認めることなく、現実を確認したいと考えている」人々だと考えられる。(120)彼らは周縁を横断しつつ、周縁を作り出しているという、モダニティ的な構築物なのである。本章の結論として、モダニズムにおける二形象、亡命と観光旅行は、その効果の違いにもかかわらず、結びついているとされる。

たとえば、亡命も観光旅行も、真正性を構築する。亡命者にとっては、本物の場は、たえず別の国に移動され、位置づけられる。ツーリストにとっても、真正性はどこかよそにあり、現在は本物ではない。亡命者の形象は、過去との一回きりの断絶をあらわし、ツーリストは、経験の無数の裂け目や断片化と折り合おうとする。だが、どこか別のところにもっと真実の、もっと意味のある生活があるという信念は[・・・]共有されている。

(125)

3

ポストモダニズムにおいては、先の二項対立の第二項が抹消されるという。第二章は主に、ボードリヤールドゥルーズの分析を通じて、それらの思想の問題点が指摘される。問題とは、ポスト構造主義理論を通じてヨーロッパ中心的なモダニズムが構築された、ということである。(128)
アメリカ』読解において、まず指摘されるのはボードリヤール自身の視点のみがシミュラークル化を免れているという点である。その帰結として、モダニズムの理論に見られたようなステレオタイプ、つまり帝国主義ノスタルジアとそれに伴う攻撃性が、ボードリヤールの語りの中に再生産されているという。「観光旅行」とそれに対抗する「純粋な旅」という対立が持ち込まれている点が、モダニティにみられた差異とそれにもとづく二項対立を反復しているのではないか、ボードリヤールの態度は結局「探求とは、やはり何かに通じるものであり、彼が望む実体のそばへやはり到達し、失われたと彼が嘆くものを支持しているのではないか」(153)という疑問が提示される。

ドゥルーズ=ガタリの分析が続く。「彼らの共著における空間についての比喩的写像は、モダニズムに関する欧米の言説という枠組みの中で読み解くことができる。(・・・)はっきりいって、「ノマドの」様式を彼らのように特権化できるのは、主体の位置する中心的な場と周辺地帯とを対立させているからだと、私は主張したい。」(161)D=Gにおける「脱出」「一連の逃走」そして「マイナーになる*1」ことは、「中心に位置してメジャーつまり有力たる人々にとってのみ意味のある戦略」であるという指摘がされ、さらに、再領域化されることのない脱領域化の象徴としての「ノマド」は歴史性を問われうるのだが、それは

ヨーロッパのポスト構造主義理論が合衆国で受容される状況のなかで、多様性に富む戦場が生まれつつあるということである。この状況において「ノマド」という語は、他の語よりももっと微妙な、歴史的な基礎を含めた用語にもなりうることに変わりはない。したがって、ポストモダンの理論の中で新植民地主義を再生産しないようにするには、批評家の居場所や立場が、理論にまつわる政治の重要な要因となる。

(178)
ここで言われているのは、ノマドが「特定の権力関係によって構築された空間」(169)であるから、その用語を使う場合、批評家自身の立場が問われざるをえないということである。スピヴァクがD=Gに行った批判は、この立場をD=Gが考察しそこねているのではないか、という疑問を提起する。

4

「複雑な産物としてのポスト構造主義に」、良心的に取り組んでいる批評実践が、第三章以降で紹介される。アフマドのサイード批判とグギの批評実践が順に検討され、彼らの囚われている二項対立的立場が指摘されるが、それぞれ「文学批評や文化批評の物質的条件を、帝国主義や資本主義拡大に関連させて評価しなければならない」(197)こと、「帝国主義が多様な主体を産出していること、また、それゆえに、移動をめぐる言説を考察するためには、さまざまな政治的、地理的なコンテクストを考慮に入れなければならない」(203)ことが確認される。

続いてサイードの立場が細かくみられる。サイードの「世俗批評」において「文化の働きは、評価を含んだ区別をたてることにある」が、これへの抵抗のためには「故郷と遠方との境目にあたる辺境に身を置く必要が」あり、次いで離隔と架橋の理論が構築されるのを見た後で、この理論が「亡命」を作家性や批評家化の契機とみなしていることから、「欧米モダニズムを再生産する可能性がある」と指摘される。具体的には、サイードは亡命についての形象をアドルノから引き継いでおり、したがってその構築物もモダニズムの美的原理に結びついているのである。(216)しかし、サイードは亡命にモダニズム的な理想的形象を与えたままにはしておかない、とカプランは続ける。サイードは亡命と難民*2の混ぜ合わさった思考を通じて、モダニズムに内在した矛盾を明るみに出しており、それは「欧米批評の地図」として読み解きうる、という。

コスモポリタンな主体についての様々な思想が紹介される。「漂白の形象としての」コスモポリタンな人物の中に区別を建てることができる。一方は「体制転覆的ないし進歩的な意味合いを読み込むことも可能なテクストを産出する」(224)著者たちであり、もう一方は「ヘゲモニーに役立つように」取り込まれ、「グローバル化を背景とした多様性を管理するために役立てられうる」書物を産出する著者らである。
次いで思考されるクリフォードは、「さまざまな住民や階級やジェンダーがいかに旅をしているか。彼らはどんな種類の知や物語や理論を生み出しているか」を問題にする。クリフォードは作家の場所として、離隔、距離化といった亡命の形象ではなく、「中間性」「雑種性」(234)に注目する。クリフォードが執着する「旅」の比喩についての数々の疑念が紹介(235-238)されるが、クリフォードが「移動」ではなく「旅」に固執するのは抽象化、非歴史化を避けるためである、とカプランはいう。「旅」とは「歴史にまみれ」た概念として用いられているのである。この関心はさまざまな言説における「ディアスポラ」、それが生み出すアイデンティティの分析に移り*3、その結果、先段落に述べたコスモポリタンな主体の二面性に似た、漂流の二面性が明らかになる。ここで用いられるディアスポラは、「モダニズム風の亡命観に見られる批評のための離隔や、それに伴う二項対立を斥け、「中間性の場」、あれでもこれでもない状況」に取り組んでいる。(249)「ディアスポラ」という用語の有益さは、「多様な人々が寄り集まった新しい共同体を、たがいに結びつけることができるという点にある」。ディアスポラを定義するに当たって移民の定義との区別に依拠していることに二項対立の危険を指摘(245)しつつも、この観点をカプランは高く評価しているように思える。

5

最終章では、著者の専門領域である、フェミニズム思想や、カルチュラル・スタディーズや、マルクス主義の諸思想が思考の対象にされる。私にはこれらの思想についての理解が不足しているので、本書の三章までの論点と関連する部分だけを手短に見ていきたい。
最終章では、「移動/定位」のうち定位が主題になる。定位する、居場所の政治性はフェミニズムにおいて様々な議論を喚起してきた。特にカプランが主張するのは、「グローバルなものとローカルなものとは、モダニティの空間化された表現の二面であり、それが、ポストモダニティに関連した、経済的、政治的、文化的領域における変化のまっただなかで、特定のニュアンスを帯びてきた」ということである。これらの二極は、グローバリズムにおける均質化に対抗する地方的特質、または、ある地域の排外主義的傾向に対抗する国際性や越境性の必要性として、それぞれ強調されるものである。(259)
まず、「モダニティの空間化された表現」とはどういうことか。ルフェーヴルからハーヴェイ、ソジャに至る空間性の分析が順次参照される。ルフェーブルは「近代資本主義の勃興期に空間が重視されて時間が抑圧された歴史を提示」した。(262-264)また、ハーヴェイによれば、モダニズムとは「場所と空間、現在と過去、普遍性と特殊性重視のあいだに、独特なやりかたで折り合いをつける一連の実践」であるという。資本の融通化、流動化のなかで、二十世紀を通じて起こった「時空の収縮」につれ、二つの主要な反応、普遍主義と特殊主義がみられるらしい。この「時空の収縮」がマッシーによってジェンダーを含む広い権力的枠組みの中で捉え直される。そしてローカルとグローバルの二軸は、二つの(対立ではなく)併存するグローバル化として表現し直される。(277)そのように捉えられた場合、「ローカル」なものは、次のように考えられるものとなる。

したがって「ローカル」なものとは、ほんとうは特定の内在的領域なのではなく、越境的資本主義文化のなかで、それを通して構築されるアイデンティティ群の事だといえよう。(・・・)ローカルなものは、アイデンティティに関わる時間化された物語(・・・)の構築を通して、グローバル化への抵抗をするための主要な場であると見える。だが、ほかならぬその場が、流用と土着主義と排除の基板を用意するのである。

(282)
ローカルなものへの回帰によって「再発見された具体的なものは、われわれを具体的なものの意味の元になる、より大きな現実を理解する可能性から、さらに引き離す」。では、「それが抽象的/普遍的と具体的/経験的とのあいだの弁証法について把握を深めてくれる」ようにするにはどうすればよいのだろうか。カプランは、「ローカルなものにもっと深く沈潜しつつ、それに抗して活動するため」の戦略を、本書の締めくくりとして描いている。

思考の軸として、プラットとハンソンの研究が参照される。それはジェンダーや人種や階級の流動的構成に眼を向けるものになっている。「明確な根源的アイデンティティを発見したり強化したりするのではなく、差異が創りだされていく過程を強調する」(324)その理論において場所は「特定の組み合わせをなす社会関係が経験され凝縮される場」であり、この場所や位置にからむ媒介活動を通じてアイデンティティは形成される。「居場所が有益でないのは、それが、再確立され再確認されるべき真正の根源的アイデンティティの反映であるなどとみなされた場合である。」その反対に、居場所への問題提起は、階層的秩序への脱構築として役立ちうるのである。そうした地理学は、「多様で非対称な関係に置かれた女性たちのあいだの、歴史的に特定された差異や類似性を見定めるための基盤をあきらかにし、連帯のための、これまでに取って代わる歴史や、アイデンティティやあ、可能性を作り出す」(328)のである。

6

本書の三章までは、旅や移動にまつわるモチーフが、四章は定住のモチーフが検討された、といえるだろう。三章までになされた批判も、大いに理論家の立場が問題にされてきたことを考えると、当然かも知れない。残念なことに、四章後半のフェミニズムを論じた部分は、私自身の理解の不足もあって、曖昧な表現になったのはともかく、論旨を取り逃がしているかもしれない。お詫びする。

*1:「マイナーになるとは、特権化されたアイデンティティや営為を手放すという、ユートピア的な過程のことである。」(165)

*2:「難民とは、文学や美学という領域には入らない、のっぺらぼうな政治的構築者である。(・・・)難民は文書になりえない。」218

*3:「つまり、さまざまな居場所の人々の間の結びつきを造出する「ディアスポラ的次元」とは、どのようなものか、という問いである。このようにして構成されたアイデンティティは、たとえば民族主義を再生産することはないし、あるいは、モダニティの種々の本質主義的構築を架橋し、脱構築するはずなのだ」241

ラディカル構成主義:エルンスト・フォン・グレーザーズフェルド


本書でグレーザーズフェルドはピアジェ認識論の読解を通じて、自らの認識論的立場、ラディカル構成主義の理論を説明している。二章終わりに、ラディカル構成主義の原理が提示されている。

・知識は感覚やコミュニケーションを経由して受動的に受け取られるものではない。
・知識とは認知主体によって能動的に構築される
・認知の機能は、生物学的な意味で適応的なものであり、適合や実行可能性への傾向性を有している。
・認知は主体による経験世界の組織化の役目を果たすのであって、客観的な存在論的実在を発見しているのではない。

(124)
つまり、実在を想定せずに(「論考」のウィトゲンシュタインの像と現実との一致、カントの超越論的哲学における実在の措定など。またイギリス経験論にも実在への通路は見られるといわれる)、経験からの組織化によって認識を構成する実行可能な(ありうる)理論、というのが根本的な立場と言えるだろう。この思想はピアジェサイバネティクスの思想に多くを得ている。

ピアジェはいかにしてわれわれは経験の流れの中から比較的安定した、そして整然とした像を構成できているのか、という問題を説明する「実行可能な」(解説を参照)モデルを製作したという。(141)三章では、前掲の各テーゼがピアジェの思想の中に確認される。例えば、ピアジェにおいて知識は行動から生じる。行動は知識を組織化する、目標指向的な活動である。(138)(「対象を知るということは、行為図式(シェム)の中に対象を組み入れることを示唆しており」*1 )
続いて成長における組織化の例として二つのモデルが示されている。「経験的現実の構成」(143〜150)では幼児が「あらゆる個人の現実の根本的な構造をなす基本概念が、そのような構造が生得的に存在するという前提なしにどのように成立しうるのかが明らかに」される。また「反射から図式理論へ」(151〜165)では、反射(刺激→反応)の基礎的な機構から、いかにして学習が成立するのかが解説される。(ここで定義された調節、均衡化概念は後にサイバネティクスの理論と接続される)
四章ではチェッカートの脈動的注意の研究に依拠し、個別的同一性(今経験している対象が、以前経験したあるものと同一であるという、持続性(148))の概念から変化、動作、空間、時間、因果といった概念が構成されることが示される(図示される)。
五章では、ピアジェにおける抽象概念が非常に詳しく見られる。反省と抽象とのかかわりが指摘された(214)後で、グレーザーズフェルドはピアジェが抽象を観察可能な特性に関する(対象から特性を抽象する)「経験的抽象」と協応に関する「反省的抽象」に区別し(235)、さらに後者の抽象を三つに区別しているという。(240〜246)特にすでに構成されている構造から、特定の協応を借用し新しい問題において再構成する反省的抽象と、反省への自覚を伴う(「反省的思考」とよばれる)第二の反省的抽象の区別が強調される。

つまり、一番目のタイプの反省的抽象と疑似経験的抽象の場合には、「反省」という言葉はほかの操作レベルでの投射や調整された組織化として解釈するべきである。そして、二番目のタイプの「反省された抽象」の場合には、この言葉は意識的思考として解釈するべきである。

(249)
六章を通じて構成主義の認識論的立場が概説される。知識が実在、環境との対応を持ち得ない以上、「知識は何と関わり合いを持っているのだろうか。そして、何が知識に価値を与えているのであろうか」(262)。二つの原則が導入される。一つ目は知識獲得はそれ自身が目的なのではなく、主体が経験する経験には好ましいものと好ましくないものとがあるために、そのうち好ましいものを繰り返すための、目標指向的な行為に寄与するものだということである。二つ目は、知識は世界を表象しているのではないというものである。これらの原則から、知識は「世界を経験する際に世界に適合するために、認知主体が概念的に発達させた手法と手段に付随するもの」であるという知識観が導かれる。続いて、主体の世界構築の源泉を厳密に経験に限定するこの立場からわれわれが世界についていだいている概念がいかにして発生するか、が説明される。いわく、客観性に替わる間主観性間主観性を確証する他者が考えられた後、自我の分析がされる。経験の中心としての自我と知覚的実体としての自我が自我の構成の基礎としてみられ、特に詳しく見られる。自我が経験を内的なものと外的なものとに分割したのち、それでも内的な経験と外的な経験を両方経験する自我は「自分自身が他の事物の中に含まれる一つの事物であるというふうに考えることはない」(288)ことが示される。同時に、感覚シグナルが手がかりとなることで、われわれが自我の感覚を他者と区別することを学ぶことができ、こちらは知覚的実体としての自我を構成する。これらの自我の二側面は、社会的自我の段階に至ることで関連性をもつようになり、この社会的自我が倫理の基礎となることが示唆される。

七章では構築主義の立場から、言語やコミュニケーションが考えられる。ソシュール的言語観に再現前化を連結している点が独特である。ヴィトゲンシュタイン言語ゲーム論を通じて確立しようとした「意味と真実という概念を論理的な確実性へと」もたらす試みは失敗した、とグレーザーズフェルドは指摘し、集団において単語の意味を「共有する」というとき、それは意味の同一性を支持するのではなく、心的構成物の文脈における両立可能性を示唆している、という。意味は個人的に構成され、適応によって洗練されていく。(314)ついでこの言語観がどのようなコミュニケーション理論を支持するかがみられる。

続く八章ではこれまで展開してきた理論がサイバネティクスの観点から再定義される。行為を調節することで入力を制御する(参照に感覚シグナルを一致させる)、フィードバック概念と、より複雑なシステムにおける学習概念が詳説され、それらがピアジェの認知理論(をグレーザーズフェルドが再構成した理論である、図式理論。154-165ページ参照)に接続される。ここでは予期からの逸脱としての撹乱、新しい調節を生む撹乱はネガティブ・フィードバックと等価になり、図式概念とマトゥラーナの生命システムの有機的構成に、同じ帰納的原則がみられることが確認される。

九章と十章ではこういった理論が数と教育に応用され、ラディカル構成主義の可能性をしめしている。最後に本書全体についていうと、叙述は明快だけれども、本書の大半がピアジェの理論に即して展開されているためにピアジェについてなんらかの知識を得ていないと読みづらいだろう。ピアジェ自身による入門として、以下を勧める。

また、本記事をかくにあたって「ピアジェに学ぶ認知発達の科学」をその都度参考にした。

*1:シェムとは一般化された行為(例えば「掴む」など)で、主体はシェムを用いて対象に対応する。シェムは思考の水準における概念に相当し、概念を用いて判断(あれはAだ)するように、シェムを用いて対象を同化する。(同化は判断に相当する)同化の際には必ず調節が伴い、一般的であるシェムを個別化する。(同じくものを掴むにしても、様々なつかみ方があるというように)同時に、調節はシェム自身に作用を及ぼし、新しいシェムを作る(学習)。この同化と調節という二極の全体(均衡)を適応という。ただし、調節についてのグレーザーズフェルドの解釈は異なる。彼の「図式理論」では調節は予期された結果と実際の結果が異なるときにのみ生じる。したがって同化は既存の概念構造(シェム)に判断を適応させるプロセスとなる。